ジル・ド・レ侯爵が居住していた城として有名だが、別名を「靑髭の城」ともいう。目立った特殊性もなく伝統に則った風貌がかえって個性に思える造りである。 南東の塔(キープ)は12世紀に築造され、様式はロマネスク様式であった。消失にあったり、有用性が失われたのちの解体に見舞われたが城壁や城門もろもろはまだ残っている。 塔はもともと高さを24メートルとしていたが測定した結果せいぜい18メートル程度であったようだ。特徴としては角部に設けられた平坦なコントルフォール(バットレス)が挙げられる。 コントルフォールは壁体を支持するために設けられた突出部であり、日本では「控え壁」と名の方が馴染みがあるだろう。 この城を含むティフォージュの地は1420年にジル・ド・レの妻カトリーヌ・ド・ティフォージュの持参金の一つで、百年戦争の終結後、ジル・ド・レの隠遁場所となった。 1520年にはシャルル子爵であったジャン二世ド・ヴァンドゥーム*1によって門の上に塔が築造されており、ヴァンドゥーム塔と呼ばれる。 その後、城は所有者を転々としながら戦火に巻き込まれてゆく。1569年には宗教戦争によって焼失し、1626年には勅令によって解体された。
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