ダラム城 のバックアップソース(No.1)
*現実の城情報 [#information]

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イングランド北東部ダラム州の州都ダラムに建つ城。向かい合うように建つダラム大聖堂と共に1986年に世界遺産に登録された。
城と大聖堂は町を大きく蛇行しながら流れるウェア川に囲まれた半島状の立地にあり、川を天然の堀として用いることができる。
かつてはこの半島部分全体が大聖堂も含めて城壁で取り囲まれていて、城壁には各所に防御塔が備えられていた。
1072年の築城以来ダラム司教(国教会では主教)の居城として使われ、19世紀以降はダラム大学の学生寮として使われている。
元々は[[バンバラ城]]近くのリンディスファーン島に大きな修道院があったが、聖カスバート((生前はリンディスファーン修道院の修道院長だった))の聖遺物と共にバイキングの襲撃から逃れ、数年放浪したのちに10世紀末・995年にダラムに修道院を開いた。

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ダラム司教は修道院の院長であると同時にダラム周辺の領地(教会領)の領主でもあり、ノルマン・コンクエストの後もその特権を認められた。
征服王ウィリアム1世はダラム司教の領主としての特権を認め、更にノーサンブリア伯ワルセオフに命じて城を築かせることで司教を自らの味方につけ、自らの傘下に取り込んだのであった。なおノーサンブリア伯ワルセオフはのちに王に反乱を起こして処刑されている。
このように司教でありながら領主として認められた領主司教は他にもおり、ダラム主教は現在も貴族院に議席を持っている。
この議席はダラム主教の地位に付属するものなので、主教の座にある間のみ貴族と同等の待遇と権利が与えられる。

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城はモットアンドベイリー形式で築かれ、その後歴代のダラム司教によって増改築が続けられて現代の形になっていった。
1072年の築城当初は城壁や建物は木造だったが、そののち程無くして石造のものに建て替えられたと考えられている。
主郭のキープは14世紀にさらに建て替えられ八角形のシェルキープ形式となった。現在残っているシェルキープは1840年に建て替えられたものだが、八角形のデザインは受け継がれた。
また主郭の下にある大広間は14世紀の司教アンソニー・ベックの時代に増築されたもので、現在も大学の食堂として使われている。
この大広間は映画『ハリー・ポッター』シリーズではホグワーツの食堂大広間として撮影に使われた。

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1837年にダラム主教エドワード・マルトビーは自身の住まいをオークランド城(城と呼ばれているが屋敷館)に移した。
城はダラム大学に寄贈され、荒れていた部分の補修・改築・再建工事が行われて1840年に完成。以来学生寮や事務室として使われている。
大学に関係の無い一般人はガイドツアーに参加することで見学できるが、その見学コース以外には大学当局か学生に招待されるでもない限りは原則的には立ち入りできないようになっている。

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|所在地|イングランド、ダラム州、ダラム|
|現存状態|現用(大学の寮として)|
|城郭構造|モットアンドベイリー → 囲郭式城郭|

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