中央アジアから西アジアにかけて大勢力を築いたティムール朝の都で、その建築物の美しい青色から「青の都」と称される。 ティムール朝の始祖ティムールは西チャガタイ・ハン国で台頭し、1370年にサマルカンドを獲得して単独政権を樹立し、ここにティムール朝が創始された。 ティムールはモンゴルによって破壊された旧サマルカンド(アフラシヤブ)の南西に築かれた新市街の開発を進め、これを守るために新たな城壁を建設し、イスファハーン、バグダード、ダマスカスなど西アジアを代表する諸都市から多くの学者・文人・芸術家・建築家・職人を強制移住させた。 サマルカンドの建設活動においてティムールは権力の象徴のため建造物の高さや大きさに異常なまでに執着し、金曜モスク(ビービー・ハーニム)では表門の高さ、孫ムハンマド・スルターンの霊廟グーリ・アミール廟ではドームの高さを重視し、自ら建築現場に赴いて監督したという。 ティムールはこれらの巨大建造物に加え、壮麗な宮殿を備えたバーグ(庭園・果樹園)を城壁の内外に建設し、その間に居住区や市場が形成されていった。 ティムール朝の都としてその商業・交易の中核となったサマルカンドは人口30万人以上を抱えるまでに発展し、中央アジアを代表する巨大都市として繁栄した。
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