コーフ城 のバックアップの現在との差分(No.1)
現実の城情報イングランド南部ドーセット州のパーベック半島中央部に建つ城。海岸から内陸部に向かうと立ちはだかる丘陵地帯の隘路を押さえる丘の上にある。 12世紀始めにウィリアム征服王がイングランド各地に築いた最初期の石造城砦のひとつ。 現在はナショナル・トラストによる管理を受けている。年間20万人ほどの観光客が訪れ、イングランド南部の古城としてはメジャー所。 イングランド南部ドーセット州のパーベック半島中央部に建つ城で、海岸から内陸部に向かうと立ちはだかる丘陵地帯の隘路を押さえる丘の上にある。 12世紀初めにウィリアム征服王がイングランド各地に築いた最初期の石造城砦のひとつ。 現在はナショナル・トラストによる管理を受けており、年間20万人ほどの観光客が訪れ、イングランド南部の古城としてはメジャー所。 続きをクリックで表示 12世紀から13世紀にかけては王家の有力な城のひとつとして歴代の王によって何度も手を入れられて拡大強化され、現在に残る城地を持つようになる。 12世紀から13世紀にかけては王家の有力な城のひとつとして、歴代の王によって何度も手を入れられて拡大強化され、現在に残る城地を持つようになる。 16世紀になると戦略的重要性が低下し、1572年にはエリザベス1世の大法官クリストファー・ハットンに払い下げられた。 1635年にはジョン・バンクスがさらに城を買い取って居城とする。 1643年、清教徒革命とイングランド内戦の中でドーセット地方に議会派軍が侵入してくると、国王派の有力な城であったコーフ城は攻撃目標になった。 国王に近侍していたジョンに代わり、妻のメアリ・バンクスがこの時守備兵の指揮を執った。議会派軍は攻城兵器まで持ち出して城を攻め、両軍の間で激戦が展開される。しかし城は6週間の包囲に耐え、メアリ率いる守備隊は議会派軍に損害を与えてこれを見事に撃退した。 国王に近侍していたジョンに代わり、妻のメアリ・バンクスがこの時守備兵の指揮を執った。 議会派軍は攻城兵器まで持ち出して城を攻め、両軍の間で激戦が展開される。 しかし城は6週間の包囲に耐え、メアリ率いる守備隊は議会派軍に損害を与えてこれを見事に撃退した。 1645年、態勢を立て直した議会派軍は再度コーフ城を攻撃する。 今回もまたメアリの指揮の下戦いに臨んだが、攻防戦の末守備側の部隊長の一人だったピットマン卿が攻城軍の将ビンガム卿と結託して裏切る。彼はサマセットから連れて来た援軍と称して議会派軍を城内に引き入れ、城外の議会派軍の攻撃に合わせて蜂起したため、メアリはあえなく降伏開城を余儀なくされる。メアリと彼女の兵は解放されたが、城はこのとき徹底的に破壊されてしまった。 今回もまたメアリの指揮の下戦いに臨んだが、攻防戦の末守備側の部隊長の一人だったピットマン卿が攻城軍の将ビンガム卿と結託して裏切る。 彼はサマセットから連れて来た援軍と称して議会派軍を城内に引き入れ、城外の議会派軍の攻撃に合わせて蜂起したため、メアリはあえなく降伏開城を余儀なくされる。 メアリと彼女の兵は解放されたが、城はこのとき徹底的に破壊されてしまった。 王政復古の後バンクス一族は旧領を回復するが、破却されたコーフ城を建て直すよりも新しい館を作ることを選び、城はそのまま廃墟となった。
城郭構造城郭構造(クリックで表示) 城郭構造城の南西側から北側を回り込むように流れるコーフ川を外濠として、南と東にも空堀を設けている。 城の主郭に続く道は南東側の外城門からしかなく、ここから城門を最低3つ(外郭→内郭→主郭)越えなければ主城塔(メインキープ)までたどり着けない典型的な連郭式城郭。 城壁の各所には塔が設けられており、かなりの防御力を誇った。
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