グレート・ジンバブエ のバックアップ(No.2)

現実の城情報 Edit

巨大な石造建築で現地人によって「崇拝の家」とも「石の家」とも呼ばれるこの遺跡は、悲しくもすでに滅亡してしまった現地民の大帝国によって築かれた。
一説によれば豊富な黄金資源によって栄華をきわめ、海外との貿易も盛んであったという。
650年ごろからの歴史を持つ遺跡が白人たちに知れ渡ったのは1860年代~1870年代と、認知されてからの歴史は意外にも浅い。


ドイツ人地質学者カール・マウフは、「1871年9月3日、私たちはこの丘を登った。長さ3キロメートルほどの丘でかなり高く、裸の頂上から四方が一望できる。私のガイドがおそるおそる絶壁の登攀をはじめ、私たちが一人ずつおぼつかぬ足取りで後の続いた。不意に東方8キロメートルほどの彼方にもう一つの丘が姿を現した。その上には明らかにヨーロッパ様式の石壁が建っていた。」と当時の興奮を記している。


遺跡は花崗岩で築かれており、総面積0.25平方キロメートルで、要塞型城郭と回廊の遺構からなるアクロポリスと巨大なエンクロージャー(神殿)、多くの小建築の残骸からなる「谷の遺跡」から形作られている。
カールの手記でもわかるように、当時のヨーロッパ人の多くはアフリカと南米は辺境の地であり、自分たちよりも劣っている劣等民族という穿った見方が主流であった。
このグレート・ジンバブエを発見した際も多分に漏れず、様々な理由をつけてキリスト教と結び付けながら必死に納得しようとした節がある。幻のキリスト教王国「プレスター・ジョン」と結び付けようとしたほどであるから、相当に驚嘆したのだろう。




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