グリュックスブルク城 のバックアップ差分(No.1)

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*現実の城情報 [#information]
ユトランド半島の付け根にあるドイツ最北部の市で、池に囲まれドイツ1の水城とも云われる城である。
始めはデンマーク王国に属しており、1192年に修道院が開かれ領主も務めていたが1538年デンマーク王国により没収を受けた。
その跡地に1582年、[[クロンボー城]]を完成させたフレゼリク2世デンマーク国王の弟ハンスによって築かれた。
ハンスはプロテスタントに篤い信心を持っており、城を建てる際に選んだ格言がデンマーク語で「Gud(神) Give(与える) Lykke(幸福) Med(と) Fred(平和)」(神は幸福と平和を与える)、
そこから幸運の城という意味のLyksborg(リュクスボー)、ドイツ語だと「Gott Gebe Glück Mit Frieden」でGlücksburg(グリュックスブルク)となる。
その時に建てられた城内礼拝堂は、現在ドイツで最も古い物の1つとされている。
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ハンスの死後広大な領地は子供たちに分けられ、グリュックスブルク城を受け継ぎグリュックスブルク家を興したのがフィリップだったが、4代後子孫が途絶え1824年デンマーク王国に収公されてしまう。
翌年国王はフィリップの兄の子孫のフレデリックに城と家を継がせ、新グリュックスブルク家を興させた。
だが1864年に勃発したデンマーク=プロイセン戦争にて敗北し、グリュックスブルク城を含む領土をプロイセンに奪われてしまった。
城はドイツ皇帝の物となったが、時の当主がプロイセン寄りだったので1869年返還されている。
その後グリュックスブルク家の居城となったが、月日が経つうちに居住時間が短くなっていき、1922年非営利財団管理となると博物館となり一般公開されるようになった。
第二次世界大戦では傷つくことは免れたものの、イギリス軍によって略奪を受けている。これが唯一の戦争被害である。
なお第一次・第二次ともドイツが敗北したため、デンマークは1864年に奪われた領地を取り戻すため住民投票が行われたが、両度ともドイツ残留が過半数を占めたためドイツ領のままとなった。
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現在は北ドイツ有数の観光地となっており、城の離れに当主が住み財団の理事長を務めている。


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|所在地|ドイツ シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州 シュレースヴィヒ=フレンスブルク郡 グリュックスブルク市|
|現存状態|現存|
|城郭構造|ルネサンス式|

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