ギマランイス城 のバックアップソース(No.1)
*現実の城情報 [#information] //編集前に[[テンプレート/城娘]]の「現実の城情報」をご確認ください。(このコメントは必ず残してください。他のコメントは不要なら削除していいです) //編集会議室で決まった基準に基づき、本文が長くなるようなら以下の方法で折り畳んでください。(目安は大体6行以上) //本文はなるべく、ほどほどのところで改行してください。改行は「。」のうしろで。 //(本文を5行以下で入力してください。折り畳みを開始するのは、キリのいいところで結構です) ポルトガル北部ギマランイスに建つ城。世界遺産。 この城でポルトガル王国の初代王アフォンソ1世が産まれたことから『ポルトガル発祥の地』と呼ばれる。 #br 950年、第3代ポルトゥカーレ伯の未亡人ムマドナ・ディアスが天啓に従ってこの地に修道院を開いた。 その後ノルマン人(ヴァイキング)やムーア人(イベリア南部およびモロッコ周辺のイスラム系勢力)の攻撃から修道院を守るために建設されたのがこの城である。 959年には建設途中である旨の言及があり、ムマドナが死んだ968年にはすでに完成していたためその間に完成したものと見られる。 #br #style(class=submenuheader){{{ &color(White,Maroon){続きをクリックで表示}; }}} #style(class=submenu){{{ 彼女が死ぬと息子達による跡目争いが起き、紆余曲折を経てムマドナの孫娘ゴントローデに譲られた。 その後11世紀後半にアフォンソ1世の父エンリケに与えられ、彼によって大規模に拡大・改築される。 アフォンソが1139年にポルトガルを独立させ即位すると王の居城として用いられ、その後も王家発祥の地として手厚く扱われた。 独立戦争中にカスティーリャ=レオン軍の包囲を受けたほか、1369年にもポルトガルに侵攻したカスティーリャ王エンリケ2世によって包囲されるが耐え抜く。 1383-85年の内戦ではベアトリス女王側に付いため、対立するジョアン1世によって陥落させられる。 その後ジョアン1世の指示によって城壁に塔が追加されるなどの大改修を受けた。 #br 15世紀に城に近接してブラガンサ公爵館が建設され、フランスの影響を強く受けたゴシック様式の建物として完成する。 王家の庶流にあたるブラガンサ公爵家からはのちにブラガンサ朝初代国王ジョアン4世が出ており、ギマランイスから再び王家が生まれることになった。 城は17世紀中期頃にはすでに放置され荒廃していたが、20世紀半ばからサラザール政権の下でブラガンサ公爵館とともに修復が行われた。 2001年、城下町ギマランイスの旧市街とともに、中世ポルトガルの景観を残すものとして世界遺産に認定され現在に至る。 2007年にはポルトガルの七大建築((原語そのままに訳せば『七不思議』))に指定された。 }}} #br |BGCOLOR(#ddd):80|300|c |所在地|ポルトガル、ノルテ地方、ブラガ県ギマランイス| |現存状態|城壁、城塔| |城郭構造|囲郭式 平山城| //題名を付けて説明する場合は、以下の方法で必ず折り畳んでください。 //初めから折り畳みにすると、Edit番号が割り振られませんが、必要な場合は折り畳まない状態でプレビュー表示してEdit番号を拾ってください。 #style(class=submenuheader){{{ &color(White,Maroon){城郭構造(クリックで表示)}; }}} #style(class=submenu){{{ **城郭構造 //(本文を入力してください) 現存するのは主郭部分のみで、複数の城塔で防御された城壁で囲まれた方形の塔を持つオーソドックスな構成の囲郭式。 丘の頂上の堅固な岩場に建設された石造・方形の城塔は高さ28メートル。 この塔には窓がなく矢狭間も屋上部分以外にはない。出入り口も城壁からかかった橋一箇所しかなく、この橋を落とせば出入りできなくなる。居住施設が組み込まれて巨大化するようになる前の、文字通り最後の拠り所となる石造キープの姿を今に残している。 防御施設は城壁と城壁にある塔で賄われる。また北側に城館があったが現在は館の壁のみが残る。 #br 最盛期にはブラガンサ公爵館を含め、より広大な範囲が城地であったと思われる。しかし往時の外城壁はすでにほとんどが消滅している。 公爵館と城の間にアフォンソ1世が洗礼を受けたとされるサン・ミゲル教会があるが、これは17世紀に失われたものを20世紀に修復再建したもの。 }}} *コメント [#comment] #pcomment(,reply,10,) |
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