カルアト・サラーフ・アッディーン のバックアップ差分(No.1)

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*現実の城情報 [#information]

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イスラームの英雄サラーフ・アッディーン(サラディン)にちなんだ城で、「サラーフ・アッディーンの城」を意味する。
2つの河川が合流する峡谷に突き出た支脈の上に築かれ、フェニキア人の古城が東ローマ帝国時代に改修された。
12世紀初頭には十字軍が占領してソーヌと呼ばれるようになり、この時代に城塞は大規模な改修を受けた。
当時、城塞と城下を城壁で囲むのが主流になり始めていたがソーヌはその好例であり、従来の城壁をより高くした重厚な城壁が村落の城壁とつながれた。また岩盤を掘削した深さ約30メートルもの堀によって支脈を分断するなどの強化が図られた。

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こうしてソーヌは地中海世界で難攻不落の要塞とみなされるようになったが、シリアの十字軍勢力を駆逐したアイユーブ朝のサラディンが1188年に攻略し、その勝利を記念してカルアト・サラーフ・アッディーンと改名された。
アイユーブ朝が滅亡した後は14世紀頃までマムルーク朝が所有していたものの、その後放棄された。
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カルアト・サラーフ・アッディーンは東ローマ帝国・十字軍・アイユーブ朝時代の諸様式が混在する、中世要塞建築としての歴史的重要性が評価され、現在は同じく十字軍時代の代表的な城塞である[[クラック・デ・シュヴァリエ]]とともに、世界遺産に指定されている。

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|所在地|シリア、ラタキア県アル=ハッファ郡|
|現存状態|廃墟|
|城郭構造|山城|

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