カステル・デローヴォ のバックアップ差分(No.3)

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*現実の城情報 [#information]

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カステル・デローヴォ(Castel dell'ovo)は別名を「卵城」と呼ばれている。その名はローマの詩人ヴァルギル(預言者兼大魔導士でもあったとか)の伝説に由来する。
カステル・デローヴォ(Castel dell'ovo)は別名を「卵城」と呼ばれている。その名はウェルギリウスとして知られるローマの詩人ヴァルギル(預言者兼大魔導士でもあったとか)の伝説に由来する。
ヴァルギルは城を守護するために魔法の卵を台座に置いた。もし卵が壊れでもしていたら城は破壊され悲惨な事件が続くであろう、というものであったそうだ。
城の位置はサンフェルディナンドとキアイアの地区の間にあり岩礁の上に築城されている。海の向こうはメルジェリナに面しており、ピエール・ダジャンクールの設計した[[カステル・ヌォヴォ]]の新築と同時に改修が施された。
謂わば高い城壁を持つシタデルである。城へと続く土手に架かった橋は簡単に外すことができるため敵からすれば侵攻は容易ではなかった。
当初の城はフリードリヒ2世によって1220年に建設され、1503年にスペイン人によって破壊されている。この城を含むいくつかの城塞は連関しながらナポリの周囲に防備の環を形成していた。
現在、我々が目にすることができる建造物は17世紀のものである。
城の位置はサンフェルディナンドとキアイアの地区の間にあり岩礁の上に築城されており、海の向こうはメルジェリナに面している。城の起源は古く前6世紀にギリシアの植民市クーマエの時代に遡り、前1世紀にはローマのルキウス・リキニウス・ルクッルスが別荘を築いた。5世紀半ばには西ローマ皇帝ウァレンティニアヌス3世によって防備を施され、最後の西ローマ皇帝ロムルス・アウグストゥルスもここに滞在している。
このローマ時代の遺構は、地中海世界の各地を襲撃していたイスラーム勢力の拠点となるのを防ぐため9世紀頃に破壊された。11世紀になるとノルマン人が南イタリアを征服し、シチリア王国を建てたルッジェーロ2世は1140年にカステル・デローヴォを居城としたが、やがてカステル・カプアーノに移った。

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現在見られるカステル・デローヴォに関しては、その当初の城は神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世によって1220年に建設された。フリードリヒ2世の死後シチリア王国はフランスのシャルル・ダンジューに征服された。
シチリア王国の王宮をパレルモからナポリに移したシャルル・ダンジューによって、カステル・デローヴォはピエール・ダジャンクールの設計した[[カステル・ヌォヴォ]]の新築と同時に改修が施された。謂わば高い城壁を持つシタデルである。城へと続く土手に架かった橋は簡単に外すことができるため敵からすれば侵攻は容易ではなかった。
やがて王宮はカステル・ヌォヴォに置かれるようになってカステル・デローヴォの重要性は低下し、牢獄として用いられた。シャルル・ダンジューによって討たれたホーエンシュタウフェン家のコンラーディンは処刑の前にカステル・デローヴォに投獄されており、ナポリ王国の女王ジョヴァンナ1世も、のちにハンガリー王カーロイ2世となるカルロに捕らえられた際、カステル・デローヴォに投獄されている。
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ナポリ王国は1442年にトラスタマラ家のアラゴン王アルフォンソ5世に征服され、ナポリ王アルフォンソ1世として即位した。カステル・デローヴォはアルフォンソによって改修され、この城を含むいくつかの城塞は連関しながらナポリの周囲に防備の環を形成していた。
1494年にはフランス王シャルル8世がナポリ王国の王位継承権を主張してイタリア戦争を起こし、シャルル8世はナポリ王に即位するもののすぐにトラスタマラ家に王位を奪還され、次いでフランス王ルイ12世が再征服した。
この両者の抗争は、カスティーリャ女王イサベル1世との結婚によりスペイン王国を成立させたアラゴン王フェルナンド2世によって終止符が打たれ、フェルナンドがナポリ王国に侵攻した際の1503年にカステル・デローヴォはスペイン人によって破壊されている。
フェルナンドはナポリ王フェルナンド3世として即位し、ナポリ王国はスペイン王国に併合された。このスペイン支配の下でカステル・デローヴォは大規模に改修され、現在、我々が目にすることができる建造物はスペイン時代の17世紀のものである。

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|所在地|Via Eldorado, 3, 80132 Napoli, イタリア|
|現存状態|城門、城塞|
|城郭構造|平城(水城)|
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