エケトープ城 のバックアップ差分(No.1)

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*現実の城情報 [#information]

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スウェーデンのエーランド島にある古代城郭形式のリングフォート(円形城塞)で、いくつかある遺跡の内で最大かつ最も調査が進んだ城である。
始まりは2~3世紀頃、宗教儀式や異民族の襲来に備え城壁が築かれたことによる。ちなみに沖縄のグスクと同じく城壁は石灰岩でできている。
凹凸のない真平な平原のため最も守るに効率が良い円形が選ばれ、最初は直径約60m程であったが、4世紀頃に拡張され直径80mとなり50戸程の建物があった。
発掘でローマ帝国の貨幣や技術が見つかっており、476年に滅んだ西ローマ帝国から逃れてきた難民も加わったと思われる。
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650年頃、この地を治めていたシルフィング王朝がデンマークのデーン王国に攻め滅ぼされ統一されると、軍事用だった城は放棄されてしまう。
1142年、スウェーデン王に選ばれたスヴェルケル1世がロシアのノヴゴロド共和国と戦争を始めると、1170年頃前線基地として再び使用されるようになった。
再建時は道や建物が整備されており、計画に基づいた町作りであったことが分かっている。また城壁もさらに拡張され高さ8m・直径120m程にもなった。
スヴェルケル1世の跡をついだエリク9世は熱心なカトリック信者で、スウェーデンに初めてキリスト教を持ち込んだが、
それに不満を持ったマグヌス2世は1160年、彼を暗殺し王位を簒奪してしまう。
翌年スヴェルケル1世の息子カール7世がマグヌス2世を討ち王位を奪還すると、カトリック教を廃止することはなくそのまま信仰され、
1196年、カール7世の息子スヴェルケル2世は北方十字軍に参加しノヴゴロド共和国と再び戦乱が開かれる。
なお、この十字軍への参加は「異教徒」ノヴゴロド共和国の討伐という大義名分を得るための方が大きい。
だが1240年、ネヴァ河畔の戦いで大敗すると萎縮してしまい前線基地だったエケトープ城も軍縮され、
さらに十字軍から離脱すると城を放棄してしまい2度と利用される事はなかった。
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1964~1973年まで発掘調査が行われ、1974年当時の建物や城壁が再現され1984年に国立博物館が建てられた。
2000年には世界遺産「エーランド島南部の農業景観」の一部に登録されている。

なお、この城をモチーフとした「エケトープ」というボードゲームがある。
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Eric Christiansen 『The Northern Crusades』 Penguin Books 1998年
百瀬 宏・熊野 聰・村井 誠人 『新版世界各国史21 北欧史』 山川出版社 1998年
Jan Olofsson・Egil Josefson『The Development of Eketorp Fort』 (収録)Expedition Magazine 49.1 p.30 Penn Museum 2007年
山内 進 『北の十字軍 「ヨーロッパ」の北方拡大』 講談社 2011年
Eketorp公式サイト
ユネスコ、世界遺産、エーランド島南部の農業景観:http://whc.unesco.org/en/list/968/
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|所在地|スウェーデン、カルマル県、モービロンガ市、エケトープ|
|現存状態|復元|
|城郭構造|リングフォート|

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