アーカート城 のバックアップソース(No.1)
*現実の城情報 [#information] //編集前に[[テンプレート/城娘]]の「現実の城情報」をご確認ください。(このコメントは必ず残してください。他のコメントは不要なら削除していいです) ハイランド地方、グレートグレン渓谷の中央部にある、ネッシーで有名なネス湖の北西側の湖畔。アーカート渓谷の入り口に建つ城。 炭素年代測定によって、城の南西角部分は古ければ5世紀にまで遡って砦として使われていたことが明らかになっている。 現在の城は13世紀後半ごろにスコットランド王アレグザンダー2世からこの地を下賜されたデ・ランディンの息子アラン・デューワードによって築かれたものが原型。 建築年代で考えれば古いモット・アンド・ベイリー方式を元にしているが、これはもともとの古い砦の上に建てられたためと思われる。 #br #style(class=submenuheader){{{ &color(White,Maroon){続きをクリックで表示}; }}} #style(class=submenu){{{ 記録上に初めて現れるのは1296年のことで、イングランド王エドワード1世のスコットランド侵攻の際に包囲された時のもの。 その後およそ200年にわたり、14世紀前半まではイングランドとスコットランドの、14世紀末からは西スコットランドに本拠を構える半独立勢力のマクドナルド家とスコットランド王との争いの中で何度もその持ち主を入れ替える。 16世紀初頭、スコットランド貴族のグラント卿が城主となるが、相変わらずマクドナルド家によってたびたび攻撃・略奪された。特に1545年の通称“大略奪”では牛2000頭とその他家畜数百頭に加え、城の家具や門まで略奪されたという。 その後いったんは修復されたものの、17世紀中ごろにはほぼ放棄状態となった。 1692年のジャコバイト勢力との戦いでは城は落城はしなかったものの、ジャコバイト軍に狙われることを避けるために破却(一部は爆破)され、その後は完全に廃城となる。 ただしグラント卿一族が1911年まで城の所有権を持っており、最後の相続人となったシーフィールド伯爵夫人の遺言により、城は国に寄贈されその管理下に入った。 #br 現在に残る建物は16世紀のものがメイン。 19世紀の旅行ブームのころにはネス湖とセットで既に人気の観光地の一つとなっていた。 #br }}} |BGCOLOR(#ddd):80|300|c |所在地|スコットランド、ハイランド地方、ネス湖畔| |現存状態|城壁、城塔、土塁他| |城郭構造|平城| #br #style(class=submenuheader){{{ &color(White,Maroon){城郭構造(クリックで表示)}; }}} #style(class=submenu){{{ **城郭構造 [#lc93a771] ネス湖北西部に突き出した岬の突端に建つ平水城。 前述のとおり城の主要部は古いモットアンドベイリー形式に改造を重ねて形成されていて、ベイリー(曲輪)が南と北で上下二段になっているのが特徴。 上から見ると「8の字」に近い構造で日本的に言えば小ぶりだが梯郭式か。南側のほうが高くて古くかつては主郭だった。のち主郭は北側に移った。 おそらく南側の部分のみだった小砦に、北側の下ベイリー部分を後から増設したもの。上ベイリーに残る鍛冶場跡は南郭が主郭だったときの館跡だとされている。 #br 陸側は広いところで幅100フィート(30メートル)近くに達する空堀を設けて侵入に備えている。 陸側の城壁は主城門と北のタワーハウス(グラント・タワー)と南のモット上に建つ塔で防御されていた。 北郭の主城門からは跳ね橋で堀を越えて外部と連絡していたが、その城門塔は破却時に爆破されて半分崩壊している。 南北郭の間の一段低くなった場所にネス湖に繋がる門が設けられており、その下に船着場があった。 }}} #br #style(class=submenuheader){{{ &color(White,Maroon){ネス湖の怪物(クリックで表示)}; }}} #style(class=submenu){{{ **ネス湖の怪物 [#lc93a771] アーカート城が建つネス湖の名を全世界に広めたのが「恐竜の生き残り」とも騒がれた『ネス湖の怪物』、通称ネッシーである。 690年頃に書かれたキリスト教の聖人聖コルンバの伝記の中にネス湖ではなく「ネス川の怪物」について触れた記述があり、これが文献上の最古のものとされる。 1933年頃にネス湖周辺に近代的な道路が整備されるといきなり目撃例が増え、以降数多くの目撃談、写真、動画が新聞雑誌のちにテレビを賑わせるようになった。 その正体は絶滅せずに生き延びた水棲首長竜、もしくは竜脚類系の恐竜、またはそれらが進化したもの、あるいは巨大な魚などさまざまに言われていた。 しかし20世紀後半から何度も行われた大規模な調査により、残念ながらネス湖はそのような大型生物が棲息したり隠れられる環境ではないことが結論付けられた。 また有名な写真のうちいくつかはフェイク写真(特撮)だったことがバレたり、あるいは鑑定の結果違うもの(流木・水鳥・波・ボートの航跡など)を誤認していたのがわかったりしたことで、一時に比べると熱狂は影を潜めている。 しかし今なお「新しいネッシー実在の証拠」なるものが現れることがあり、実在非実在を問わずネッシーはネス湖の象徴的存在となっている。 ***で、結局ネッシーってなんだったの? ネス湖には独特な長い波が立つことがあり、見慣れていない人には生物の鰭に見える、という説がある。前述のとおりボートの航跡をネッシーと間違えた例もある。 また流木が風とは逆方向に移動すること(静振現象)も確認されていて、このとき流木は不規則で生物的な動きをする。 更にネス川下流部ではチョウザメがたまに見られ、このチョウザメがネス湖まで入り込んで目撃されたのではないかとも言われる。 これらの「合わせ技」によってネス湖の怪物ネッシーが形作られたのではないかとするのが現在のところ有力な説明である。&color(Silver){あとそれに乗った観光客キャンペーンと。}; ……でもまあ、水の底に何かがいるっていうのはロマンですよね。 }}} *コメント [#comment] #pcomment(,reply,10,) |
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