アンベール城 のバックアップの現在との差分(No.1)

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*現実の城情報 [#information]

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ラージプートの御三家と称されるラージャスターンのアンベール王家、マールワール王家、メワール王家のうち、アンベール王家が居城とした、アンベール王国の首都アンベールに築かれた城塞。
11世紀にラージプートのカチワーハ氏が建国したアンベール王国は、氏族の長である国王とその同族である貴族が支配者層を形成し、伝統的に貴族の勢力が強く王権が弱かったため、ムガル帝国が台頭するといち早くこれと結びつき、王権の強化を図った。
1562年にアンベール王ビハーリー・マルはムガル皇帝アクバルに臣従を請い、娘を嫁がせることを申し出た。アクバルはこれを受け入れてアンベール王国はラージャスターンのラージプートで最初にムガル帝国に臣従することとなり、アンベールの王女は次のムガル皇帝ジャハーンギールの母となる。
以後アンベール王国はムガル帝国の忠実な臣下としてムガル・ラージプート同盟の形成に尽力した。これによりアクバルはラージプートの城のなかでも難攻不落で知られたチットールガル城やランタンボール城を攻略したのを皮切りにラージプート諸王国を次々と降伏させ、ラージャスターンを平定した。
特にアンベール王マーン・スィングはアクバルに仕えた「九つの宝石」の一人に数えられ、ムガル帝国がプラタープ王国と戦った際には総大将としてムガル帝国軍を率いている。

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アンベール城が大幅に拡張されたのはこのマーン・スィングの時代の1592年で、11世紀に築かれていた砦をアンベール王家の宮殿とした。
以後も改築が続けられたアンベール城は大きく4つに分かれた区画にそれぞれ門と中庭があり、謁見の間であるディーワーネ・アームやディワーニ・カース、鏡で装飾された鏡の間、 後宮のザナーナ・マハル、守護神シーラーを祀るシュリー・シーラー・デ―ヴィー寺院などが建てられ、ラージプート=ムガル宮廷様式の代表的建築物と評される。なかでもヒンドゥー教の神ガネーシャが描かれたガネーシャ門は精巧な幾何学模様のモザイクが施され、世界で最も美しい門ともされる。
アンベール城の背後には回廊でつながれたジャイガル城とナハルガル城があり、アンベールはこれらの城壁に囲まれた城郭都市として、アンベール王家の所領拡大に伴って整備・拡張されていった。
ジャイガル城は1983年になって一般に公開されるようになり、18世紀当時に世界最大を誇った巨大な大砲、ジャヤ・ヴァナが知られるようになった。
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アンベール王国はムガル皇帝アウラングゼーブの死後、アンベール王ジャイ・スィング2世が1727年にアンベールの南にジャイプルへと遷都した。ジャイ・スィング2世は自身の名を冠した新都に長大な外城壁を建設し、当地を通る交易ルートを押さえるとともに商工業者を誘致するなど都市の発展に務め、アンベール城とその城下町は重要性を失っていった。
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2013年、アンベール城は他のラージャスターンの5つの城とともに、世界遺産「ラージャスターンの丘陵城塞群」に登録された。

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|所在地|インド、ラージャスターン州アンベール県アンベール|
|現存状態|現存|
|城郭構造|丘城|

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