ガズヴィーン北西の岩山に築かれた、シーア派の一派イスマーイール派から分派したニザール派の主城で「鷹の巣」の意味。 スンナ派を奉ずるセルジューク朝はイスマーイール派を弾圧したが、イスマーイール派のダーイー(宣教師)ハサン・サッバーフは1090年にアラムート城を奪取して勢力を拡大し、セルジューク朝に対抗した。 1094年にイスマーイール派が分裂するとハサンはニザール派を組織し、アラムート城を拠点に独立政権を確立した。 ハサンは暗殺者を各地に派遣し、セルジューク朝の宰相ニザーム・アルムルクなどスンナ派の要人を殺害していった。十字軍の騎士たちも彼らの活動を恐れ、「暗殺教団」の伝説が生まれることになる。 セルジューク朝はアラムート城を度々攻撃したものの、城の堅固さや兵糧不足、指揮官の変死などによりついに落とすことはできなかった。しかし1256年、フレグ率いるモンゴル帝国の西征軍によって陥落、ニザール派政権は崩壊した。
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