諏訪原城 のバックアップソース(No.1)
*現実の城情報 [#information]

//編集前に[[テンプレート/城娘]]の「現実の城情報」をご確認ください。(このコメントは必ず残してください。他のコメントは不要なら削除していいです)

今川氏滅亡後、駿河国を領した武田氏が徳川氏の領土となった遠江国を攻めるため、天正元年(1573年)に築いた出城。
天正3年(1575年)、長篠の戦いで織田・徳川連合軍が武田氏を破ると徳川家康は武田氏に対し逆襲に転じ、諏訪原城も攻略した。徳川氏の支配下に置かれた諏訪原城は牧野城と改称され、武田氏時代の縄張を踏襲して改修が行われた。
諏訪原城の特徴は中心となる主郭を中心に放射状に通路を設け、そのに馬出を配置するという構造だが、これは後に[[聚楽第]]の設計に影響を与えたと考えられている。また諏訪原城では武田氏の築城技術の特徴である巨大な丸馬出と三日月堀が見られるが、発掘調査で徳川氏によって築かれたことが明らかになり、徳川氏の築城技術への注目も集まってきている。
武田氏が滅亡すると諏訪原城の重要性は失われ、天正18年(1590年)に廃城となった。

|BGCOLOR(#ddd):80|300|c
|所在地|静岡県島田市金谷|
|現存状態|丸馬出、三日月堀、土塁など|
|城郭構造|山城|

*コメント [#comment]
#pcomment(,reply,10,)


ホーム リロード   新規 下位ページ作成 コピー 編集 添付 一覧 最終更新 差分 バックアップ 検索   凍結 名前変更     最終更新のRSS