清洲城 のバックアップソース(No.16)
#include(城娘項目,notitle); #include(城娘ステータス注釈,notitle) |CENTER:300|BGCOLOR(#FCC):80|BGCOLOR(#FCC):90|BGCOLOR(#FCC):80|BGCOLOR(#FCC):90|c |>|>|>|>|BGCOLOR(#f99):CENTER:''清洲城(きよすじょう)''| |&attachref(./清洲城S.png,nolink);|>|BGCOLOR(#111):CENTER:&ref(画像で一覧RE/清洲城.png,nolink);|図鑑No.|163| |~|>|~|レア|5| |~|>|~|城属性|&ref(画像置場/平.png,nolink);| |~|>|~|令制国|尾張| |~|>|~|武器属性|[[刀]]| |~|>|~|最大レベル|110| |~|実装日|>|>|2016年09月13日| |~|>|>|>|BGCOLOR(#F99):CENTER:''合戦''| |~|>|BGCOLOR(#F99):CENTER:''初期配置/&color(Red){最大値};''|>|BGCOLOR(#F99):CENTER:''巨大化4回/&color(Red){最大値};''| |~|消費気|12|消費気((基本消費気を含みます))|110| |~|耐久|1742/&color(Red){3315};|耐久|3135/&color(Red){5967};| |~|攻撃|77/&color(Red){299};|攻撃|126/&color(Red){490};| |~|防御|72/&color(Red){280};|防御|112/&color(Red){436};| |~|範囲|140/&color(Red){140};|範囲|229/&color(Red){229};| |~|回復|10/&color(Red){32};|回復|10/&color(Red){32};| // |>|>|>|>|BGCOLOR(#F99):CENTER:''[[特技]]''| |BGCOLOR(#FCC):[無印] / 攻撃範囲強化・弐|>|>|>|自身の範囲が35上昇| |BGCOLOR(#FCC):[&color(Red){改壱};] / 神剣草薙|>|>|>|自身の範囲が50上昇。全城娘の撤退、大破時の&br;回復気が20%上昇、再配置の時間が35%短縮。| |>|>|>|>|BGCOLOR(#F99):CENTER:''[[計略]]''| |BGCOLOR(#FCC):[無印] / 清洲会議&br;(使用まで60秒:消費気5)|>|>|>|配置場所を「赤/青」に変更する。&br;(未配置の赤いまたは青い配置場所が対象)| |BGCOLOR(#FCC):[&color(Red){改壱};] / 清洲会議&br;(使用まで60秒:消費気5)|>|>|>|~| // |>|>|>|>|BGCOLOR(#F99):CENTER:''図鑑文章''| |>|>|>|>|尾張下四郡を支配する天下の名城とは、&br;私、清洲城のことだよ!!&br;&br;信長公記によると、昔は巨大都市だったらしくて&br;それからしばらくして天守も建てられたんだけど、&br;清洲越しで、私の資材は名古屋城に&br;転用されたんだ。| |BGCOLOR(#F99):CENTER:120|400|c |''[[築城]]''|02:30:00| |''神社''|&color(Red){''[[招城儀式]]''};| #style(class=submenuheader){{ -''[[城娘改築]]'' }} #style(class=submenu){{ }} #table_edit2(td_edit=edit,tr_edit=edit,table_mod=close,calc=1,form=text=|text=|select=_1_2_3_4_5_6_7|select=_3_4_5|select=_1_2_3_4_5_6_7_8_9_10_11_12_13_14_15_16_17_18_19_20|select=_34-5_45-5_57-5_42-6_55-6_70-6_48-7_63-7_80-7_56-8_73-8_93-8_63-9_82-9_104-9_71-10_93-10_118-10_76-11_100-11_127-11_84-12_110-12_140-12_91-13_119-13_151-13_98-14_128-14_163-14_105-15_138-15_175-15_113-16_148-16_188-16,){{ |>|SIZE(13):|>|>|>|>|SIZE(10):|>|>|>|>|>|>|>|>|>|SIZE(13):|c | | |~レア|~[[&color(White){巨大&br;化数};>巨大化・属性#l379325e]]|>|>|~&size(12){[[&color(White){消費気};>巨大化・属性#i31da6d1]]};|>|>|>|>|~''初期配置''|>|>|>|>|~''巨大化''|h |~|~|~|~|~[[&color(White){基本};>巨大化・属性#ubbc4e49]]|~[[&color(White){強化};>巨大化・属性#u2b9a394]]|~&color(White){合計};|~耐久|~攻撃|~防御|~範囲|~回復|~耐久|~攻撃|~防御|~範囲|~回復|h |>|BGCOLOR(#ccc):CENTER:50|>|BGCOLOR(#ddd):CENTER:30|>|>|CENTER:30|BGCOLOR(#ffe):CENTER:SIZE(10):60|BGCOLOR(#fef):CENTER:SIZE(10):60|BGCOLOR(#eff):CENTER:SIZE(10):60|>|BGCOLOR(#fff):CENTER:SIZE(10):60|BGCOLOR(#ffe):CENTER:SIZE(10):60|BGCOLOR(#fef):CENTER:SIZE(10):60|BGCOLOR(#eff):CENTER:SIZE(10):60|>|BGCOLOR(#fff):CENTER:SIZE(10):60|c |>|無印|5|4|12|98|@cell_ra(0,1)+@cell_ra(0,2)|1742/&color(Red){3315};|77/&color(Red){299};|72/&color(Red){280};|140/&color(Red){140};|10/&color(Red){32};|3135/&color(Red){5967};|126/&color(Red){490};|112/&color(Red){436};|229/&color(Red){229};|10/&color(Red){32};| |>|改壱|6|5|11|116|@cell_ra(0,1)+@cell_ra(0,2)|1805/&color(Red){3501};|81/&color(Red){327};|75/&color(Red){299};|140/&color(Red){140};|10/&color(Red){33};|3610/&color(Red){7002};|145/&color(Red){588};|127/&color(Red){508};|252/&color(Red){252};|10/&color(Red){33};| }} #style(class=submenuheader){{ -''ステータス一覧(クリックで展開)'' }} #style(class=submenu){{ #include(清洲城/ステータス,notitle) }} #br *ゲーム上の性能・評価 [#evaluation] -概要 2016/09/13に実装された、平属性の刀武器種城娘。マス書き換え計略という無二の計略を持つのが特徴。 特技の攻撃範囲強化と平属性との相性は良いもが、攻撃と防御は強化されないため、他の刀キャラと比べて単体としての戦闘力は少し見劣りする。 とはいえ先制が取りやすいのは明確な強みなので、計略ばかりの城娘ではない。 レアリティ相応の性能もあるため、むしろ範囲を活かして前線の敵に先制攻撃を仕掛けやすい。是非本体も使いこなしていきたい。 -計略「清洲会議」 マップ上の誰も居ない赤マス・青マスを赤/青マスに書き換える他に無い計略。しかも効果は戦闘終了まで持続する。 これにより、赤マスにトークンや歌舞等の範囲バフを持つキャラを活かしやすい場所に置いたり、青マスに近接トークンを置いて避雷針にするといった戦術が組める。 ただし待機時間60秒と長いため計略を戦術に組み込むなら早いうちに清州城を配置する必要が有る。 この点が、刀に求められがちなデコイ的な運用と噛み合わないのは欠点となる。 限界突破が出来たのであれば、施設として優先的に初動の計略CT短縮は付けておきたい。 -改壱 気消費-1と、レアリティアップによる巨大化回数上昇、そして特技が「神剣草薙」に変更。 耐久・攻撃・防御を総合的に見たステータスは素の☆6と同等に。 範囲強化が50にアップし、最大射程が破格の300となる点も大きい。同じ平属性では[[吉野ヶ里]]を軽く越え、槍と比較しても遜色ない。 それに加えて気還元20%上昇が付属。また、2017年4月11日のアップデートによる共通修正で、再配置時間が20%短縮される効果も付いた。 計略による唯一無二の活躍に加え、長期戦での殲滅やサポートも十分見込めるようになった。 //-性能の変遷 //バランス調整がされた際に箇条書きで記載してください。 //--2016年00月00日、特技の効果を修正 //-概要 //城娘の運用方法などを記載 //戦での配置場所や扱い方、運用相性の良い城娘、計略など //-計略 // //[設置用計略テンプレート] //|>|>|>|>|>|>|BGCOLOR(#f99):|c //|>|>|>|>|>|>|CENTER:''[伏兵名]''| //|~Lv|~耐久|~範囲|~攻撃|~防御|~回復|~特技| //|>|>|>|>|>|BGCOLOR(#fcc):RIGHT:|BGCOLOR(#fcc):|c //|1|||||0|[特技名]&br;[特技説明]| //|50|||||0|~| // //計略の解説、運用方法などを記載 *キャラクターボイス [#voice] CV担当:[[小原莉子>https://twitter.com/Riko_kohara]] #region(←クリックすると御嬢、台詞一覧が表示されます。) #table_edit2(td_edit=off,tr_edit=edit,table_mod=open){{ |SIZE(12):BGCOLOR(#ddd):CENTER:60|SIZE(12):160|COLOR(#c09):SIZE(12):400|c |所領|ログインボーナス|遅いぞ、殿。もうすぐ会議が始まっちゃうよ?| |~|変身|さあ、天下取りを始めようか。| |~|帰還|私はまだまだ、元気いっぱいだよ。| |~|放置|暇だなぁ~……そうだ、殿に私の能を見せてあげる!| |~|御嬢クリック|&color(Gray){城娘/クリック時と同じセリフ};| |~|城娘クリック|&color(Gray){出陣/クリック時と同じセリフ};| |出陣|キャラクリック|桶狭間の戦いと同じくらい、ワクワクしてるよ!| |~|~|&color(Gray){合戦/城娘配置完了時と同じセリフ};| |~|委任出撃|私に不可能はな~いっ!| |城娘|キャラクリック|どうしたの殿? 一緒に特訓したい? 良いに決まってるじゃん! それじゃあ、まずは所領をぐるっと一周だよ!| |~|~|名古屋城とは大親友なんだ! この前、ずっと一緒に居てねって頼まれたから、傍に引っ越してあげようかな?| |~|~|殿、坂本城には気を付けた方がいいいよ。なんでって……私、あの子と友達だけど……何だかイヤな予感がするんだよね……。| |~|部隊編成|会議だね! 宿老たちも呼ぼうか?| |~|~|熱田神宮で必勝祈願だ!| |~|城娘合成|魂が更に燃えるね!| |~|贈り物|&color(Gray){城娘/クリック時と同じセリフ};| |~|詳細確認(サンプルボイス)|&color(Gray){合戦/開始時と同じセリフ};| |図鑑|城娘|~| |~|御嬢|&color(Gray){所領/放置時と同じセリフ};| |~|特技|&color(Gray){合戦/特技時と同じセリフ};| |~|大破|&color(Gray){合戦/大破時と同じセリフ};| // |合戦|開始|この命果てるまで、私が殿を守るっ!| |~|城娘配置|待ってました!| |~|城娘配置完了|全力全開で、いっくよ~!| |~|配置中城娘選択|ピンチの時こそ、燃えるよね!| |~|巨大化|てりゃあ~!| |~|特技発動|天は私に味方した!| |~|計略使用|[無印]正面から奇襲だぁ! / &color(Red){[改壱]};| |~|大破|「三介殿のなさることよ」って、言わないでぇ~!| |~|勝利|敵将、討ち取ったり!| //|~|~|天下統一に、また一歩近づいたね。| //|~|敗北|みんなを集めて、次は勝てるように反省会しよう。| //|~|~|梯子胴木で、足元は完璧だったはずなのに。| //|~|解放|と、殿…ありがとう!なんでだろう…殿の顔見ると胸がドキドキするんだけど……これは、もしかして……病気か!?| //|~|装備|シャキーン!どうどう?かっこいい?| }} #region(←クリックすると贈り物イベント、台詞一覧が表示されます。&color(Red){ネタバレ注意};) #table_edit2(td_edit=off,tr_edit=edit,table_mod=close){{ |SIZE(12):BGCOLOR(#ddd):CENTER:60|SIZE(12):160|COLOR(#c09):SIZE(12):400|c |イベント1|BGCOLOR(#fbd):望むところだっ!|うぉぉおおおっ!この感じ、燃えてきたーーーっ!| |~|他をあたってくれ。|そんなぁ……殿じゃなきゃダメだんだよぉ~!| |イベント2|絶対にイヤだ。|そこまできっぱり断られると逆に清々しいよ!| |~|BGCOLOR(#fbd):よし、任せとけ!|さっすが殿!今日はとことん付き合ってもらうからね♪| |イベント3|BGCOLOR(#fbd):俺が亭主で、お前が女将だな!|殿が亭主……どうしよう、嬉しすぎるよぉ~♪| |~|俺が女将で、お前が亭主だな!|殿が女将かぁ……うん、私はそれでも全然かまわないよ!| }} #endregion #endregion *画像 [#image] イラストレーター: |&attachref(./清洲城 入手.jpg,50%);| |CENTER:&size(25){COLOR(red){入手}};| #region(COLOR(red){''←クリックすると御嬢、城娘画像が表示されます。見たくない人はクリックしないで下さい。''}) |&attachref(./清洲城 御嬢.png,50%);|&attachref(./清洲城 城娘.png,50%);| |CENTER:&size(25){COLOR(red){御嬢}};|CENTER:&size(25){COLOR(red){城娘}};| #region(COLOR(red){''←クリックすると大破、特技画像が表示されます。見たくない人はクリックしないで下さい。''}) 大破、特技画像 |&attachref(./清洲城 大破.png,50%);|&attachref(./清洲城 特技.png,50%);| |CENTER:&size(25){COLOR(red){大破}};|CENTER:&size(25){COLOR(red){特技}};| #endregion #endregion ***改壱 [#f8a5660a] #region(COLOR(red){''←クリックすると御嬢、城娘画像が表示されます。見たくない人はクリックしないで下さい。''}) |&attachref(./清洲城 御嬢.png,50%);|&attachref(./清洲城改壱 城娘.png,50%);| |CENTER:&size(25){COLOR(red){御嬢}};|CENTER:&size(25){COLOR(red){城娘}};| #region(COLOR(red){''←クリックすると大破、特技画像が表示されます。見たくない人はクリックしないで下さい。''}) 大破、特技画像 |&attachref(./清洲城改壱 大破.png,50%);|&attachref(./清洲城改壱 特技.png,50%);| |CENTER:&size(25){COLOR(red){大破}};|CENTER:&size(25){COLOR(red){特技}};| #endregion #endregion *現実の城情報 [#information] //編集前に[[テンプレート/城娘]]の「現実の城情報」をご確認ください。(このコメントは必ず残してください。他のコメントは不要なら削除していいです) 尾張の中心部に位置する重要拠点として機能し、最盛期にはその城下町とともに「関東の巨鎮」と称された巨大城郭。 応永12年(1405年)、尾張守護職の斯波義教(義重)が守護所であった下津城の別郭として築城した。 古くは「清須城」との表記が多く、今日では「清洲城」との表記が一般的だが、どちらも誤りではない。 織田家の内紛によって下津城が焼失すると、文明10年(1478年)には尾張の守護所となり、鎌倉街道と伊勢街道が合流する交通の要衝でもあり、政治・経済・司法の中心地として栄えた。 この頃の清洲城は五条川左岸に築かれた二重の堀で囲まれる方形居館だったが、この二重堀は他国の守護館には見られず、同じ尾張の[[勝幡城]]や岩倉城に見られることから、尾張に特有なものと考えられている。 #br #style(class=submenuheader){{{ &color(White,Maroon){続きをクリックで表示}; }}} #style(class=submenu){{{ 応仁の乱に際して斯波義敏・義寛父子が織田大和守敏定を尾張(下四郡のみとも)の守護代として置き、その後敏定の子孫が代々居城とし、これ以降清洲城とその城下が急速に発展していった。 時代は下り、尾張一統を目論む織田信長が、父・信秀の弟(つまり叔父)で[[守山城]]主の織田信光と謀って当時の清洲城主・織田勝秀(俗に信友)を謀反人として殺害し、信長は[[那古野城]]から清洲城へ移った。 信光もその後、自身の重臣・坂井孫八郎に殺されるという不可解な死を遂げているが、信長と末森城主である弟・織田信勝(俗に信行)との間で家督問題が勃発するなど、まだ尾張の情勢は不安定な時期であったため、信長の謀略の内だったのかは定かではない。 いずれにせよ信長は桶狭間の戦いや徳川家康との清洲同盟の際にも、清洲城を居城としており、[[小牧山城]]を築くまでの約10年間をこの地で過ごした。永禄3年(1560年)頃には暴風雨で崩れた城壁を木下藤吉郎(のちの豊臣秀吉)が「三日普請」で修繕したとの逸話もある。 #br 本能寺の変で信長と、嫡男・信忠父子が斃れると、清洲城にて信長の後継者を決める清洲会議が行なわれ、次男・信意(のちの信雄)と三男・信孝が争ったが、双方合意の上で信忠の嫡男・三法師(のちの秀信)が仮の名代となることで決着した。 なお歴史小説などでよく言われる「柴田勝家が信孝を擁立し、羽柴秀吉が三法師を擁立した」という逸話は江戸時代初期に成立した『川角太閤記』の創作である。 清洲城は、信孝を自害に追い込み、代わって三法師の後見人となった信雄が相続することになったが、天正13年(1586年)の天正地震による被害を契機に大改築が行なわれたものと思われる。 改築後の清洲城は五条川右岸に本丸が位置し、その周囲に馬出曲輪が配置され[[聚楽第型城郭>聚楽第]]の特徴が一部に見られる。 城だけでなく城下町もまた大きく改変され、それぞれが三重の堀で囲まれて総構が形成され、現在見られる清洲城の遺構はほぼ信雄による改築後のものとなっている。 #br 文禄4年(1595年)には福島正則の居城となり、関ヶ原の戦いでは[[岐阜城]]主となっていた秀信を中心とする美濃の諸勢力を攻めるための拠点として機能した。 家康が関ヶ原の東軍総大将として勝利すると、家康の四男・松平忠吉、忠吉の病死後は家康の九弟・義直が入城し、清洲藩の本拠となった。 しかし慶長14年(1609年)から始まった清洲越しにより清洲城下町はほとんど丸ごと名古屋へ移転し、清洲城天守は[[名古屋城]]の櫓(いわゆる清洲櫓)として利用され廃城となった。 かつて「関東の巨鎮」と称されたほど繁栄した城下町は規模を縮小し、美濃街道の宿場町の一つとなった。 #br 現在の天守は外観や規模など想像で建てられた模擬天守であり、位置も天守跡地ですらない。 付近にある「清洲公園」には信長の銅像があり、「清洲古城跡公園」には土塁と石垣がわずかに残っている。 #br 改壱時の特技名「神剣草薙」及び城娘イラストで持っている剣は、現在も熱田神宮の神体となっている草薙剣(くさなぎのつるぎ)のことと考えられる。 一般に草薙剣は、スサノオノミコトがヤマタノオロチを倒した際にヤマタノオロチの体内から出てきたという神話の天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)と同一視されている。 }}} |BGCOLOR(#ddd):80|300|c |所在地|愛知県清須市清洲古城448| |現存状態|土塁、石垣、模擬天守| |城郭構造|平城| #br #style(class=submenuheader){{{ &color(White,Maroon){三介殿のなさることよ(クリックで表示)}; }}} #style(class=submenu){{{ **三介殿のなさることよ [#c741ecf2] 清洲城主であり、織田信長の次男である三介殿=信雄は、当時の人々からも馬鹿にされ続けた人物であり、現在でも無能の烙印を押されている。 #br -天正7年(1579年)には、信長に''&color(Red){無断で};''伊賀を攻め敗退。織田家の重臣・柘植保重を含む2000以上の兵を討たれたことから、信長からは「次に失敗したら親子の縁を切る」と脅されている。 -本能寺の変のあと、''&color(Red){何故か};''[[安土城]]に放火したとの噂が流れ、織田家に好意的であるルイス・フロイスからも「信雄は馬鹿なので理由もなくやった」と評されている。(ただし、実際に放火したのは明智秀満、あるいは一揆勢と見るのが有力) -清洲会議ののち、''&color(Red){何故か};''かつて信長と家督を争い死に至った信勝と同じ名前を名乗った。 -その後生まれた嫡男には''&color(Red){何故か};''清洲会議で擁立された三法師と同じ幼名をつけた。 -小牧・長久手の戦いでは、徳川家康と組んで羽柴秀吉と戦ったが、家康に''&color(Red){無断で};''秀吉と単独講和を結び、家康は大義名分を失ってしまった。 -秀吉に従って小田原攻めにも参加しているが、戦後の論功行賞で家康の旧領への移封を''&color(Red){何故か};''拒否して怒りを買って、領地を全て没収された上で流罪となった。(のちに許されたが、元の石高に比べるとわずかな石高となった) -関ヶ原の戦いでは、優柔不断な態度を見せたために西軍寄りと見做されたのか、今度は家康によって領地を没収されている。 #br といった具合で散々な有様である。信雄の名誉のために擁護しておくと、大坂冬の陣では徳川方につき、子孫は江戸時代にも大名として名を残している。 しかしながら、織田家中では「三介殿のなさることよ」と呆れられていたという。 }}} #br #style(class=submenuheader){{{ &color(White,Maroon){桶狭間の戦い(クリックで表示)}; }}} #style(class=submenu){{{ **桶狭間の戦い [#t8dcfd7d] 永禄3年5月18日、海道一の弓取り・今川義元は沓掛城に入り、松平元康(のちの徳川家康)に命じて丸根砦、鷲津砦を落とさせた。 これを受け、織田信長は小姓衆5騎のみを連れて清洲城から出陣したのち、軍勢を集結させると、熱田神宮にて必勝祈願を行ない、丹下砦、そして中島砦へと向かった。 一方、義元は元康が守る大高城へと向かったが、その途上で信長に攻撃され、田楽狭間にて討ち死にした。 信長には天が味方し、豪雨により直前まで義元に気付かれなかったが、『信長公記(しんちょうこうき)』によれば攻撃時には既に晴れていたという。 信長の進軍ルートには迂回奇襲説と正面強襲説があるが、後者の方が有力とされる。 なお奇襲とは相手の思いもよらない戦法で襲い掛かることであり、一般に正面からの突撃は強襲、あるいは急襲と呼ばれる。 #br また、近年では織田軍の援軍として、近江の[[観音寺城]]を本城とした六角軍も加わっていたと考えられており、織田方戦死者990人の内272人が六角氏の援軍であり、織田方も相当な被害を出した激戦であったことが窺える。 この織田・六角同盟を裏付ける史料は、平成26年(2014年)に発見されており、その書状によれば、永禄9年(1566年)まではともに室町幕府第15代将軍・足利義昭を支援する関係であったことが分かる。六角領の桑名と織田領の津島・熱田とは水運で繋がり、ともに近江の浅井氏を警戒する関係でもあったため((ただし、広く知られている通り、永禄10年(1567年)頃には浅井長政と、信長の妹・お市との婚姻同盟が結ばれている))、桶狭間の戦い以前からこの頃まで同盟関係にあったとしても確かに不自然ではない。 奈良大学の千田嘉博教授によれば、「[[小牧山城]]と[[岐阜城]]の石垣の積み方に違いがあって不思議に思っていました。その差は、六角氏との同盟が切れて、穴太衆の技術援助なしに、信長が独力で岐阜城の石垣を築いたためだったのかもしれません」ともいう。 }}} *コメント [#comment] #pcomment(,reply,10,) |
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