&size(14){''勝幡城''(しょばたじょう)}; #br #br 近年、織田信長出生の城として確実となった城郭。 その昔から、学者の間で「織田信長出生の城はどこであるか」は常に議論を呼び、収拾がつかなかった。 とは言えある程度は絞り込まれ、古渡城・那古野城・勝幡城が候補に挙がっていた。 学界では那古野城での出生を常識とする流れがあったが、新たな資料の発見により、織田信長出生が1534年であること、 那古野城攻略が1538年であることから、那古野城出生の仮説は消え、そののちに攻略された古渡城も当然ながら候補から姿を消した。 これによって勝幡城出生が確実となる。 #br #br #style(class=submenuheader){{{ &color(White,Maroon){続きをクリックで表示}; }}} #style(class=submenu){{{ #br ''&size(14){【城の堅牢さ】};'' 城郭の特徴としては大きな櫓台である。10メートル四方の台に相当な規模の櫓があったとされる。 土塁も高く、水害対策(近くを流れる三宅川を含めた河川の氾濫への備え)としても機能した。 曲輪は外周を埋めるような円状ではなく、北の曲輪は弧を描いた先が緩やかに外へ向いており、南から伸びてくる曲輪の端が望める。 これは「横矢」と呼ばれる防衛の工夫のひとつで、敵を両方角から矢で射貫く設備である。 南北の曲輪の端の間には土橋が設けれており、本丸へ進もうと渡った敵を両端から一斉に狙撃するのだ。 これを「合横矢(あいよこや)」「両横矢(りょうよこや)」という。 勝幡城は横矢を四方に張り巡らせ厳重に守らせた。 }}} #br |BGCOLOR(#ddd):100|300|c |所在地|愛知県愛西市勝幡町~愛知県稲沢市平和町六輪字城之内| |現存状態|石碑、木碑| |城郭構造|平城| *コメント [#comment] #pcomment(,reply,10,)