比高約390メートルの山上に高石垣が立ち並ぶ日本最大級の山城で、備中松山城・岩村城とともに日本三大山城に数えられる。 大和郡山城の筒井氏、龍王山城の十市氏などと並ぶ大和国五大国衆の1つである越智氏が、南北朝時代にごく簡単な造りの掻き揚げ城として築き、当初は越智氏の本城である貝吹山城の支城だったが戦国時代に本城となった。 天正8年(1580年)、織田信長の破城令で大和国の城を大和郡山城のみになると高取城は廃城となったが、天正13年(1585年)に大和国の領主となった豊臣秀長の重臣本多利久が入城し、その家臣の軍学者諸木大膳によって近世城郭に改修された。 江戸時代には高取藩本多氏の居城となり、本多氏の断絶後は植村氏が14代にわたり城主となって幕末に至った。
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