聖寿寺館は青森県三戸郡南部町小向字聖寿寺にあった平山城。別称は「本三戸城」。 もとは三戸城と呼ばれていたが、南部家の菩提寺である聖寿寺がそばにあり、聖寿寺館と呼ばれるようになった。南部代信長から南部晴政までのおよそ200年間、三戸南部氏の居城とされていた。 1539年6月、家臣の赤沼備中の放火により焼失した。その後、三戸南部氏は三戸城を築城し、居を移した。 2015年の発掘調査で、大型掘立柱建物跡の面積が824平方メートルと中世時代では東北最大の規模であることがわかった。