河越館 のバックアップ(No.2)
埼玉県川越市上戸(うわど)に位置する城館。 【城郭構造】 鎌倉時代後期から南北朝時代頃になると、館跡の中心辺りに幅が3~4メートル近くの堀に囲まれ、一辺が一町近い方形区画が新たに造られた。 総じて戦うための城というよりは河越氏の生活を営む居館であり同時に鎌倉幕府の地方政庁に近いが、歴史の項で触れるように実戦経験もある。 【歴史】 鎌倉末期、六波羅探題が攻撃され河越貞重が近江で自刃するとその子・高重は幕府側から討幕派に転向、新田義貞に従って鎌倉攻撃に参陣する。 だが、尊氏が死ぬと関東を差配する鎌倉府の中で公方(鎌倉府の長官・室町将軍の代理人)である足利基氏(尊氏の四男)と執事(鎌倉府副長官・のち管領)である畠山国清が対立するようになる。 河越館(の跡地)が再び史料に現れるのは室町時代の最末期、というより戦国時代に入り、関東管領上杉家の末裔である山内・扇谷両上杉家の対立が深刻化したのちのことである。 【現状】
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