檜山城 のバックアップ(No.5)
現実の城情報「東海将軍」「日ノ本将軍」と称された檜山安東氏の本城。安東氏は元々津軽の十三湊を本拠として北日本海交易を掌握した豪族だったが、15世紀半ばに南部氏に敗れて十三湊を放棄し、蝦夷地へと逃れた。 続きをクリックで表示 湊合戦以後、実季は「秋田城介」を名乗って秋田氏へと改姓し、湊城へと居城を移したことで檜山城は代官地となり、弟の英孝や重臣の大高相模守康澄が城代となった。檜山城は津軽氏や南部氏など陸奥の諸勢力に対する押さえの機能を果たし、檜山城代は野代湊を拠点とする交易も管理した。
城郭構造(クリックで表示) 城郭構造檜山城は北出羽を北流する米代川の河口から南東約12キロメートルに位置する、約133ヘクタールの広大な山塊に築かれた。標高は最高所で約165メートル、本丸で約140メートルで、城下からの比高は約125メートルとなる。 檜山城の主な支城として大館と茶臼館があり、大館は檜山城から北西約3キロメートル、檜山川と米代川の合流地点から東側の丘陵に築かれた。 昭和55年(1980年)には、檜山城、大館、茶臼館、そして安東氏の菩提寺である国清寺が一括して「檜山安東氏城館跡」として国の史跡に指定された。 コメント |
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