戦国時代に岸和田氏や松浦氏などの和泉国人が拠点とし、織豊時代には和泉一国の中心に位置づけられ、江戸時代には岸和田藩岡部氏十三代の居城となった、地域支配の変遷がうかがえる城郭。 城下を紀州街道が通り、西へと流れる古城川の河口部に港を有する水陸交通の要衝であり、当時は二の丸が海に面していた。 本丸と二の丸を連ねた形は機織り機の縦糸を巻くちきりに似ており、「ちきり城」の別名の由来となっている。 天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いの際には根来寺(根来城)に攻められたが、無数の蛸に救われたという縁起が天性寺に伝わっている。城の周辺には他にも多数の寺院が寺内町を形成し、非常時の軍事拠点を想定していたとされる。
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