第四次川中島の戦いで奮戦し、上杉謙信から血染めの感状を与えられたとされる安田長秀の居城。 長秀が出た安田氏は桓武平氏大掾氏流である城氏の一族、大見氏の末裔であり、安田城を本拠とした安田氏と区別して大見安田氏とも呼ばれ、中条氏・本庄氏・色部氏・新発田氏などとともに揚北衆を形成した。 天正6年(1578年)に起こった御館の乱で安田氏は上杉景勝を支持し、安田城は上杉景虎を支援した蘆名氏の攻撃を受けたがこれを撃退している。その後安田氏は慶長3年(1598年)に景勝が会津に転封となるとこれに従った。 安田城には村上城主となった村上頼勝の家臣吉竹右近が在番し、元和4年(1618年)に村上氏が改易されると村上城主堀直竒の属城となったが、元和8年(1622年)に廃城となった。
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