名護屋城 のバックアップ(No.3)

朝鮮出兵の前線基地として豊臣秀吉が築城命令を出した城であり、大規模な要塞と言われている。
朝鮮半島に最も近い松浦半島の端に築かれたため、船団の基地としても便利な場所であった。
築城の折、普請奉行に加藤清正、寺沢広高、設計は黒田如水が担当した。
工事はかなり大規模におこなわれ、一日の総動員数は4~5万人と推測される。
そのため、天正十九年(1591年)に始まったはずの工事にも拘らずわずか一年で完成したという。
天守には秀吉が好んだ金箔瓦をあしらい、その荘厳さは相応しい言葉を探しても見つからないほどだったという。
片田舎にできた巨大な城の誕生により、周囲はじょじょに賑わってくる。
166か所の諸大名の陣営や宿泊施設は勿論のこと、遊郭まであったというから驚きである。
全盛期には10万人を超す兵が駐屯したといわれ、「野も山も空いたところがない」と書き記すほどの賑わいであったそうだ。




所在地佐賀県唐津市鎮西町名護屋
現存状態本丸、二の丸、遊撃丸、上里山丸、下里山丸、陣跡、石垣
城郭構造梯郭式・平山城

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