大阪市高槻市美しが丘、そこは何件もの住宅が軒を連ねる閑静な住宅街。 この住宅街の造成工事の最中に、この遺跡は発見された。 古曽部・芝谷遺跡と呼ばれる遺跡である。 そこは標高80~100メートルの丘陵上、東西600メートル南北500メートルの範囲に100棟以上の住居が見つかり、その周囲には幅5メートルの濠が廻らされていた。 これは高地性環濠集落である。 高地性集落というものもあるが、これは居住ではなく山城のように軍事的な目的で造られたものだとされる。 ここに住んでいた人々は、外敵から逃れるために高地に移住し、そこで外敵の侵入を防ぐために周囲に壕を造ったと考えられる。 この集落が存在していたのは弥生時代とされ、同時に土器などが発掘されている。 そして、長き時を超え、再びこの地は多くの人々が生活を営む地となったのである。
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