グレート・ジンバブエ のバックアップ(No.3)
現実の城情報巨大な石造建築で現地人によって「崇拝の家」とも「石の家」とも呼ばれるこの遺跡は、悲しくもすでに滅亡してしまった現地民の大帝国によって築かれた。 ドイツ人地質学者カール・マウフは、「1871年9月3日、私たちはこの丘を登った。長さ3キロメートルほどの丘でかなり高く、裸の頂上から四方が一望できる。私のガイドがおそるおそる絶壁の登攀をはじめ、私たちが一人ずつおぼつかぬ足取りで後に続いた。不意に東方8キロメートルほどの彼方にもう一つの丘が姿を現した。その上には明らかにヨーロッパ様式の石壁が建っていた。」と当時の興奮を記している。 遺跡は花崗岩で築かれており、総面積0.25平方キロメートルで、要塞型城郭と回廊の遺構からなるアクロポリスと巨大なエンクロージャー(神殿)、多くの小建築の残骸からなる「谷の遺跡」から形作られている。 遺跡の存在意義とは(クリックで表示) グレート・ジンバブエが発見されてからというもの、地質学者のカールですらまともな調査を行わず、宣教師A・メレンスキーの「丘の上の廃墟がソロモン王の神殿の複製である」と何の根拠もない自説を記述、遺跡本来の真実には目もむけなかった。
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