ガズヴィーン北西の岩山に築かれた、シーア派の一派イスマーイール派から分派したニザール派の主城で、その名はダイラム語「鷲の教示」、アラビア語「鷹の巣」に由来するとされている。 スンナ派を奉ずるセルジューク朝はイスマーイール派を弾圧したが、イスマーイール派のダーイー(宣教師)ハサン・サッバーフは1090年にアラムート城を奪取して勢力を拡大し、セルジューク朝に対抗した。 1094年にイスマーイール派が分裂するとハサンはニザール派を組織し、アラムート城を拠点に独立政権を確立した。 ハサンは暗殺者を各地に派遣し、セルジューク朝の宰相ニザーム・アルムルクなどスンナ派の要人を殺害していった。十字軍の騎士たちも彼らの活動を恐れ、「暗殺教団」の伝説が生まれることになる。 セルジューク朝はアラムート城を度々攻撃したものの、城の堅固さや兵糧不足、指揮官の変死などによりついに落とすことはできなかった。しかし1256年、フレグ率いるモンゴル帝国の西征軍によって陥落、ニザール派政権は崩壊した。
アサシン(クリックで表示)
英語で暗殺者のことをアサシン(Assassin)といい、ゲーム、本、漫画、映画、どこかで一度は聞き覚えのある名前だと思う。 もともとはニザール派のヨーロッパでの名称で、暗殺時にハシシ(大麻)を吸わせてから送り出していたため、この名がついたとされる。ただ諸説あり、事実はいまだ明らかにはなっていない。 暗殺を実行する者は特に信心深い者の中から選ばれた。選抜された者はその後、想像を超える厳しい訓練を乗り越えなければならない。 見事訓練を耐え抜き、晴れて暗殺者となったものはフィーダーイー(アラビア語:名誉の犠牲者・献身者)と呼ばれた。 彼らの暗殺の手口として、主に刃物に毒物を使用していたとされるが、詳細は謎に包まれている。20年間で50人の要人暗殺を成功させている背景から見るに、成功率はかなり高かったようだ。
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