|
小田城 のバックアップ(No.8)
現実の城情報
|
| 所在地 | 茨城県つくば市小田 |
| 現存状態 | 曲輪、堀、土塁、虎口 |
| 城郭構造 | 輪郭式平城 |
戦国の不死鳥・小田氏治(クリックで表示)
小田氏治とは、鎌倉時代より続く小田氏の15代当主であるが、小田城をめぐる戦いで連戦連敗するも何故か何度も復帰する戦国の不死鳥(あるいは常陸の不死鳥)として知られている。
八田知家を祖とし、小田城周辺を300年以上守護する名門・小田家に生まれた氏治は、父・政治が天文17年(1548年)に死去すると、小田家第15代当主となった。
時代は少し遡り、天文15年(1546年)に行われたとされる河越城の戦い(河越夜戦)にて氏治は、足利晴氏に味方した政治に従い攻城側として初陣を飾ったが、後北条軍を相手に歴史的な大逆転による敗北を経験したという。
弘治2年(1556年)には後北条氏の支援を得た結城政勝を迎え撃つも海老ヶ島の戦いで敗れると、小田城は氏治が帰陣するのを待たずに海老ヶ島城とともに落城し、居城を失った氏治は土浦城へと逃れた。
その後氏治は後北条氏と和解し、支援を失った結城氏を攻めて小田城を奪還した。ただし、これは攻め落としたと言うより、小田城を守り切れないと悟った政勝が城を捨てたというのが真相であると言われる。
弘治3年(1557年)、氏治は佐竹義昭とともに小田領に侵攻した多賀谷政経の下妻城を攻撃したが敗れ、小田城も落城すると土浦城へと逃れた。(黒子の戦い)
その後、何故か小田城を取り返しているが、永禄元年(1558年)、再び義昭と政経に攻められて小田城は落城した。
しかし小田城は、永禄2年(1559年)、土浦城主の菅谷政貞によって奪回された。
永禄2年(1559年)には、政勝とその子・明朝が相次いで亡くなったのを好機として結城城を攻めたが、鬼真壁の異名を持つ真壁氏幹が籠城方の援軍として駆けつけると、小田軍は総崩れとなり敗北した。
さらにその勢いのまま、海老ヶ島城と北条城が奪われてしまい、『関八州古戦録』では「無用の戦」と評された。
同年、氏治は大掾貞国という武将を攻めようと、周囲の大名に援軍を頼んだが誰にも相手にされず、逆に攻め込まれるとふたつの城を奪われたという。
氏治は一矢報いるために、大掾方の手賀沼城を攻めたが攻め落とせず、そうこうしているうちに留守にしている領地に佐竹軍や結城軍が攻め込もうとしていることを知ったが、行動を決めかねているうちに帰路を塞がれ、命からがら敗走した。
氏治は永禄5年(1562年)には後北条氏に従ったが、氏治の離反を知った上杉謙信は佐竹義昭とともに小田家の領地に攻め込み、何故か川を背にした背水の陣で迎え撃った氏治は敗走、小田城は同7年(1564年)に落城し氏治は藤沢城に逃れた。(山王堂の戦い)
その後、氏治は上杉軍の留守を狙って小田城を奪還するも、三ヶ月後には佐竹軍によって攻め落とされた。
翌年に佐竹義昭が没すると、氏治はその隙をついて佐竹義廉が守っていた小田城を攻撃し奪還するが、その翌年に佐竹氏を継いだ佐竹義重が謙信に命じられて攻め寄せると、これに小田城は攻め落とされた。
その後、永禄11年(1568年)に氏治は謙信に降伏し小田城に戻ることができた。
永禄12年(1569年)、小田城は佐竹義重・太田資正・真壁氏幹に攻め落とされ、氏治は藤沢城に逃れるも、菅谷政貞の活躍によって小田城は奪回された。
氏治は元亀3年(1572年)の大晦日には毎年恒例の連歌会を開いたが、家臣とともに酔いつぶれてしまい、そこに急襲した太田資正の攻撃によって小田城が落城するも、木田余城に集めた兵により即座に奪還した。
しかし、その二ヶ月後の元亀4年(1572年)、家臣二人が裏切ろうとしているという噂を知ると、菅谷政貞・信田重成が「まずは使者を送って確かめるように」と進言したにもかかわらず出撃したが、それは太田資正の謀略であり、太田資正・真壁氏幹らに攻められ敗走。(手這坂の戦い)
小田城に逃げ帰ろうとしたものの、太田資正の子、梶原政景が小田軍の振りをして侵入して、小田城は落城。その後、氏治は小田城に戻ることはできなかった。
天正16年(1588年)には佐竹義重が攻め込み、氏治は手子生城を守ったものの、籠城すべきと進言する家臣を振り切って、野戦に打って出ると挟撃に遭って敗走した。(手子生城の戦い)
氏治は、天正18年(1590年)の豊臣秀吉の小田原攻めを契機に、奪還のため小田城を攻めたが、太田資正が籠城方の援軍として駆けつけると敗れ、戦国大名としての小田氏は滅亡した。(樋ノ口の戦い)
以上、氏治の戦績については諸説あるが、長谷川ヨシテル(れきしクン)氏の著作『ポンコツ武将列伝』の記述に基づき解説した。
その後の小田城は佐竹氏の城郭となり、梶原政景、小場義成が在城し、慶長7年(1602年)の佐竹氏の秋田転封後は廃城となった。
Published by (C)DMMゲームズ
最新の10件を表示しています。 コメントページを参照 画像を非表示