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小田城 のバックアップ(No.7)
現実の城情報
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| 所在地 | 茨城県つくば市小田 |
| 現存状態 | 曲輪、堀、土塁、虎口 |
| 城郭構造 | 輪郭式平城 |
戦国の不死鳥・小田氏治(クリックで表示)
小田氏治とは、鎌倉時代より続く小田氏の15代当主である。
弘治2年(1556年)に後北条氏の支援を得た結城政勝を迎え撃った氏治が海老ヶ島の戦いで敗れると、小田城は海老ヶ島城とともに落城し、氏治は土浦城へと逃れた。
その後氏治は後北条氏と和解し、支援を失った結城氏を攻めて小田城は奪還された。
弘治3年(1557年)、氏治は佐竹氏とともに小田領に侵攻した多賀谷氏の下妻城を攻撃したが敗れ、小田城から土浦城へと逃れた。
小田城は永禄2年(1559年)、土浦城主の菅谷政貞によって奪回された。
氏治は永禄5年(1562年)に後北条氏に従ったが、氏治の離反を知った上杉謙信は佐竹義昭とともに小田城を攻め、同7年(1564年)に落城し氏治は藤沢城に逃れた。
翌年に佐竹義昭が没すると、氏治は佐竹義篤が守っていた小田城を攻撃し奪還するが、その翌年に謙信によって小田城を攻められ敗走した。
その後永禄11年(1568年)に氏治は謙信に降伏し小田城に戻ることができた。
しかし氏治は天正元年(1573年。永禄12年(1569年)説は誤伝か)の手這坂の合戦で佐竹義重・太田資正に敗れ、小田城を奪われ土浦城・藤沢城へと逃れたのを最後に、小田城には戻れなくなった。
その後の小田城は佐竹氏の城郭となり、梶原政景、小場義成が在城し、慶長7年(1602年)の佐竹氏の秋田転封後は廃城となった。
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