慶長19年(1614年)に徳川家康の六男、松平忠輝の居城として天下普請によって造られた越後高田藩75万石の藩庁。 高田平野の中央部に築かれ、河川の流れを変えて水堀とし、城地の縄張りと工事の総監督は忠輝の舅の伊達政宗が務めた。 城の周囲には侍屋敷や足軽町、町人町、寺屋敷などが広がり、城下町には街道が引き入れられていたが、これは江戸時代の城下町に共通して見られるものであり、高田城はその典型例となっている。 元和2年(1616年)に忠輝が改易された後は度々城主が交代したが、寛保元年(1741年)に榊原政永が入って以降は榊原氏六代の居城として明治に至った。
2014年11月に大坂城・高知城とともに日本日本三大夜城に認定され、2017年4月には続日本100名城に選定された。
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