障子ヶ岳城 のバックアップ(No.4)
城跡は京都郡と田川郡の群境、標高427メートルの障子岳山頂にあり、本丸、二の丸、北の丸、馬場、空堀、土塁が現存し、城郭構造は典型的な連郭式山城と推測される。 『名城にして宿舎、城主が次々と変わってゆく豊前の山城』 時が経ち応永六(1399)年正月元旦、城主千葉上総介高胤は元旦の慶賀として一族老臣を場内に集め祝いの宴を開いていた。 天正十五(1587)年、秀吉の九州平定の折、秀吉の宿舎となったと伝えられる。このとき、小早川隆景の持城となったのだが、天正十七年、豊前の名城と言われた当城もついには廃城・破却の末路を辿ることとなる。 地元の人間は校歌のおかげで「障子岳」の存在は知っていても、そこに城があったことを知る者は少ない。
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