岩出山城(いわでやまじょう)は宮城県大崎市(陸奥国玉造郡)にあった城で、江戸期の伊達21要害の一つ。 奥羽山脈から大崎平野西端にのびる山塊の先端部分の、標高108メートルの城山に築かれた山城で、堀切で分断された本丸・二の丸・三の丸が巨大な二重の土塁で守られていた。 元は岩出沢城と呼ばれ、奥州探題として陸奥に下向した斯波大崎氏に随従した氏家氏が築き代々拠点としたとされている。 奥州仕置、それに次ぐ大崎葛西一揆後に一帯を与えられた伊達政宗が、検地等を行った徳川家康より岩出沢城を受領し(この際に岩出山城と改名された)政宗が仙台城に移るまでの間、居城となった。
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政宗が仙台城に移って後も、要害拝領によって岩出山要害が置かれ、政宗の四男宗泰を祖とする岩出山伊達家が代々領有した。 麓には仙台藩の藩校の1つ有備館が置かれるなど、江戸期においても仙台藩の要所であった。 現在では、(東日本大震災で主屋が倒壊する等の大きな被害を受けたが)有備館が国の史跡として保存されている他、本丸跡地は城山公園、二の丸跡地は岩出山高等学校、大手門跡は岩出山小学校の敷地となっている。
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