井伊谷城の女城主・次郎法師(井伊直虎と同一人物とも)が出家したと伝わる寺院だが、井伊谷城の南を守る砦として機能し、参道石垣に城郭造りの跡が残されている。 龍潭寺の歴史は古く、天平5年(733年)、行基によって開かれたとされるが、当初の寺号は地蔵寺であり、寛治7年(1093年)に井伊家の始祖・共保が葬られると自浄寺と改められた。 南北朝時代に宗良親王が中興したともいうが、その後、桶狭間の戦いで戦死した井伊直盛が葬られると、直盛の法号から龍潭寺と改められたという。 なお臨済宗龍潭寺二世住職・南渓瑞聞は参謀として、三世住職・傑山宗俊は強弓の者として、五世住職・昊天宗建は長刀の名人として井伊家を支えたとされる。 現存する庭園は小堀遠州の作庭であるという他、井伊家墓所もあり、次郎法師は天正10年(1582年)に死去し月泉祐圓禅定尼として、井伊直親の隣に眠っているとされている。
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