武田信玄を二度にわたって破った北信濃の猛将、村上義清の居城。村上氏は鎌倉時代に村上郷で発祥した清和源氏の一族で、元中年間(1384~1392年)あるいは応仁年間(1467~1469年)に坂城郷に本拠を移し、葛尾城を居城としたとされる。 戦国時代の当主村上義清は村上氏の最盛期を築き、信濃に侵攻した武田信玄を上田原の戦い・「砥石崩れ」で撃退した。 しかし信玄の家臣真田幸隆が村上方の砥石城を奪取して以降、幸隆の調略で村上氏の勢力は減退し、天文22年(1553年)に義清は葛尾城を捨てて逃亡、その後一時奪還するものの再び武田方に奪われ、義清は上杉謙信を頼って越後に落ち延びた。 この葛尾城が陥落した天文22年(1553年)が葛尾城の文献上での初見であり、それ以前の葛尾城の詳細は不明となっている。
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葛尾城が最後に文献上で登場したのは慶長5年(1600年)の第二次上田合戦の際で、海津城主の森忠政の家臣である井戸宇右衛門が葛尾城に城代として入り、上田城を監視する任に当たっていた。 葛尾城は関ヶ原終戦の報を受けてもなお抵抗した上田城主・真田昌幸に攻められたのち、一国一城令によって廃城となったとされる。
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