大規模な古代山城としてその昔、景行天皇の熊襲征伐の途次、皇居を構えた場所といわれる。 ――出典『豊前志』
京都郡勝山町大久保と犀川町、行橋市津積にまたがる標高247メートルの岳が辻の山梁の西にあったが、現在はその城址が残るのみである。 御所ヶ谷の地名も景行天皇の行在のあったところから名づけられており、京都郡の由来自体も景行天皇に関係があるとされる。 詳しい資料が少ないためどういった城の様相であったか不明ではあるが、討伐の拠点として大きな役割を担っていたことが城址からうかがえる。
【現存状況】 山梁の南面と北斜面渓谷の東西両側の尾根に近い部分に、切石状の列石とその痕跡が4kmにわたり残っている。 北斜面の東方、中央、西方の渓谷に東の門、中の門、西の門の石塁がある。特に中の門の石塁は高さ6m、長さ30m余りのもので、切石をもって構築され、基部には精巧な水門口がある。 西之門付近には馬立て場と称する石積が残っている。東の門にも石塁と列石が残る。 因みに築城は7世紀頃といわれている。
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