佐東銀山城 のバックアップ(No.3)
現実の城情報
佐東銀山城(さとうかなやまじょう)は山陽道と瀬戸内の水運が集積する安芸の経済の中心地であった古市や今津を見下ろす標高410メートルの武田山に築かれ、山頂の主郭と周囲の尾根に張り巡らされた50以上の曲輪が特徴的な連郭式山城である。また、枡形の原型ともいえる構造も見られる。 続きをクリックで表示 安芸武田氏は鎌倉幕府御家人として、元弘の乱においても幕府方として活動した。そのため建武の新政が始まると閉塞状態に陥り、甲斐に残った庶流石和流武田氏が宮方につき甲斐守護に任ぜられたのとは対照的な状況であった。 戦国末期、毛利氏の外交担当役となっていた僧安国寺恵瓊は安芸武田氏の庶流の出であるとされている他、光和の庶子は毛利氏に仕え武田宗慶を名乗り活躍した。 城跡は現在ではハイキングコースとなっているが、遺構も含めてよく保存されており、曲輪やそれを守る堀切、石垣などが現在でも確認できる。
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