イスラームの英雄サラーフ・アッディーン(サラディン)にちなんだ城で、「サラーフ・アッディーンの城」を意味する。史料によってはサラディン城、ソーヌ城塞ともいう。 2つの河川が合流する峡谷に突き出た支脈の上に築かれ、フェニキア人の古城が東ローマ帝国時代に改修された。 12世紀初頭には十字軍が占領してソーヌ城塞と呼ばれるようになり、この時代に城塞は大規模な改修を受けた。 当時、城塞と城下を城壁で囲むのが主流になり始めていたがソーヌはその好例であり、従来の城壁をより高くした重厚な城壁が村落の城壁とつながれた。また岩盤を掘削した深さ約30メートルもの堀によって支脈を分断するなどの強化が図られた。
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こうしてソーヌ城塞は地中海世界で難攻不落の要塞とみなされるようになったが、シリアの十字軍勢力を駆逐したアイユーブ朝のサラディンが1188年に攻略し、その勝利を記念してカルアト・サラーフ・アッディーンと改名された。 アイユーブ朝が滅亡した後は14世紀頃までマムルーク朝が所有していたものの、その後放棄された。
カルアト・サラーフ・アッディーンは東ローマ帝国・十字軍・アイユーブ朝時代の諸様式が混在する、中世要塞建築としての歴史的重要性が評価され、現在は同じく十字軍時代の代表的な城塞であるクラック・デ・シュヴァリエとともに、世界遺産に指定されている。
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