鶴賀城 のバックアップ(No.2)
別名「利光城」とも言われ、険しい連山の頂に築かれた山城である。 以前は、豊後の豪族、大神惟基の二男阿南惟家が治めていた。 標高193mの主郭を中心に遺構が良好に残存。付近には長宗我部信親の墓や十河一族の慰霊碑が残る。 鶴賀城は現地の呼称で紹介すると、山頂に本丸、東へ伸びた尾根に二の丸、三の丸、北へ伸びた尾根に穀倉跡、ノロシ台跡などの曲輪群を配している。 本丸は土塁囲みで一段低くなった広い空間の北側に櫓台と土塁を備える一段高い段が付く。 本丸から東へ伸びた尾根にある二の丸、三の丸は曲輪としては規模が小さいが、南側の道路に面して土塁の防塁が伸びている。 北に降りていくと穀倉跡と記された曲輪があり、周囲に畝状竪堀群が残る。北西側へ降りるとノロシ台を経て成大寺に至る。
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