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赤穴城 のバックアップ(No.2)
現実の城情報
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| 所在地 | 島根県飯石郡飯南町下赤名 |
| 現存状態 | 石垣、堀切 |
| 城郭構造 | 山城 |
永禄5年(1562年)の毛利氏の侵攻において、開城を考える赤穴盛清に対し老臣森田左衛門などが毛利氏との決戦を主張し、盛清が開城すると、彼らは城を出て領内に散らばり各地で一揆を起こしたという。
このことについて盛清は毛利氏によって叱責を受けることとなったが、盛清は
「家名を保つために主君(尼子氏)を裏切った自分に非があることであり、彼ら(森田左右衞門ら)こそ真の忠臣である」
と答え、これを聞いた毛利元就は
「盛清も義者であるし、森田らも伯夷、叔斉のような忠臣であるのだな」
と感嘆したという。その後を見る限り、盛清は特に咎めを受けることはなかったようである。
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