葛西城 のバックアップ(No.2)
享徳の乱前後に、山内上杉方の軍事拠点として、青戸の地に築城された。 天文7年(1538)に北条氏綱が攻略した。 永禄2年(1559)に作成された「小田原衆所領役帳」によると、江戸衆の遠山丹波守の一族、遠山弥九郎が在城していたことが確認されている。 天正期の資料によると、葛西周辺の兵力が葛西城に集結して各地へ派遣されている。そのことから、葛西城は前線基地ではなく、遠くに伸びた前線への補給基地として機能していたと考えられている。 葛西城の跡に、将軍家の鷹狩用の御殿が建てられる。 3代将軍家光の頃になると、利用されることが少なくなった。 |
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