砥石城(といしじょう)は現在の長野県上田市にあった城である。形式は山城(城郭)であり、別名戸石城とも言う。 築城年代や築城当時の状況などは定かではないが、真田氏の外城として建てられたのが始まりとする説が濃厚である。のちに真田氏を追い出した村上義清が小県郡・佐久郡方面の重要拠点とし、改築を行った。 城そのものは小さいものの、東西を崖に囲まれたその姿はまさしく難攻不落の要塞であり、本城・米山城・枡形城とともに複合城郭を形成している。 当時信濃平定を目指していた武田晴信(後の信玄)は砥石城に7000の兵を差し向けるが絶大的な防御を誇る砥石城の前に一方的な大敗北を喫した。これを「砥石崩れ」と言う。
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しかし当時全盛期であった武田氏を敵に回したのが運の尽き。武田二十四将が一人、真田幸隆のチートじみた調略の前には持ち前の防御力を以ってしても太刀打ちできずにあっさり陥落した。 天正11年(1583年)に真田昌幸が上田城を居城としてからはその支城となり、天正13年(1585年)の第一次上田合戦の際には信幸が入って徳川勢を攻撃した。 慶長5年(1600年)の第二次上田合戦では信幸が徳川方としてこの城に入っている。 その後上田は信幸が領し砥石城は存続したとされるが、元和8年(1622年)に松代城へ移る際に廃城になったと考えられる。
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