牛久城 のバックアップ(No.2)
現実の城情報
常陸の国衆である岡見氏の本拠地で、常陸に進出した後北条氏が最前線の城として重視した、佐竹氏との境目の城。 続きをクリックで表示 岡見氏が牛久城主として史料上で確認できるのは、小田氏が上杉謙信に攻撃された永禄7年(1564年)頃で、『上杉文書』に小田方として「うしよく おかミの山しろ」と記されている。 このような状況は岡見氏だけでなく後北条氏にとっても脅威であり、牛久城は佐竹方に対する境目の城として牛久城を重視し、下総小金城の高城氏や下総布川城の豊島氏、上総坂田城の井田氏などを牛久城に交代で在番させ、牛久在番と称された。 牛久城はその後も多賀谷氏の攻撃を受け続けるが在番衆の奮闘もあって持ちこたえ、天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐の際に開城した。
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