熊野城は月山富田城の西の守りを担った山城で、尼子十旗の1つである。 八雲山から南東にのびる山塊の先端部にあたる要害山に築かれた連郭式山城であり、尾根伝いに多数の郭が連続して置かれている。 15世紀に熊野久忠によって築かれたとされ、熊野氏代々の居城であった。 熊野氏が尼子氏に従うようになると、月山富田城の西にあるこの城は防衛上重要な支城となったという。
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熊野城は低地である南から東にかけてを川が流れるなど天然の要害となっており、永禄6年(1563年)の毛利氏の攻撃を跳ね返すなど、その役目をよく果たした。 結局、毛利氏も熊野城を落城させるには至らず、永禄9年(1566年)の月山富田城の開城とともに熊野城も開城したという。 その後、永禄12年(1569年)尼子再興軍が出雲に上陸すると、熊野氏一族の熊野久家が熊野城を奪い再興軍の拠点となった。 しかし、元亀元年(1570年)に再興軍が布部山の戦いで壊滅的打撃を受け、熊野城も毛利氏の攻撃を受けるようになると開城したという。 天正年間のいずれかに、尼子再興軍に対する月山富田城防衛で活躍した天野隆重が熊野城に移り居を構えている。 その後の来歴ははっきりとしないが、出雲に堀尾氏が入った際に記録に出てこないことから、この頃までには廃城になっていたと考えられる。
城跡は石垣などの遺構がある他、階段状に連なる郭を構成した平地群も残っている。
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