沼津城は、前身の三枚橋城が天正7年(1579)、後北条氏の戸倉城に対抗して武田勝頼が築城したものといい、関ヶ原合戦後の慶長6年(1601)には大久保治右衛門忠佐が城主になりました。しかし、慶長18年(1613)の忠佐の死後世継ぎがなかったため大久保家は断絶となり、翌19年、三枚橋城は廃城となりました。 以後160余年の間当地に城はありませんでしたが、安永6年(1777)、後に老中となる水野忠友が沼津に城地を与えられ沼津城を築城しました。この沼津城は三枚橋城の北半分を利用して造られましたが、規模は三枚橋城と比べ小さなものでした。 慶応4年(1868)水野氏の菊間(千葉県市原市)転封の後、城の建物は沼津兵学校の施設として使われましたが、明治4年(1871)の兵学校廃止後払い下げられ、姿を消しました。 『沼津城本丸跡』説明板より引用
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