上杉謙信・景勝に仕えた、数寄者として知られる水原親憲の居城。水原氏は安田氏と同じく大見氏の一族で、揚北衆の一つ。 謙信死後の御館の乱で水原満家は景勝方につき、景勝に対し新発田重家が反乱を起こした際にも景勝方で戦ったが、天正11年(1583年)の放生橋の戦いで新発田勢によって討ち取られてしまい、水原氏は一時断絶する。 水原城は新発田方の手に渡ったが天正14年(1586年)に景勝方が奪還し、景勝の命で大関親憲が水原城に入り、親憲は水原氏の名跡を継いで水原親憲と名乗った。 慶長3年(1598年)に景勝が会津に転封すると親憲もこれに従い、水原城は廃城となった。
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