築城年代は定かではないが、南北朝時代より城砦があったとされる。 木ノ芽峠は古来より北陸道の要衝として栄え、戦国時代末期には柴田勝家によって越前と近江を結ぶ栃ノ木峠が整備され、明治頃まで重要な道として使用されることとなる。 この城は、木ノ芽峠城砦群(西光寺丸城・木ノ芽峠城・観音丸城・鉢伏城)の一つであり、木ノ芽峠の東に築かれ、西の観音丸城と連携して要衝を押さえていた。 1569年、朝倉義景は織田信長の侵攻に備え、この城に家臣の堀二郎三郎を守護に置いた。1573年、織田信長が越前に侵攻し朝倉氏を滅ぼすと、織田氏の家臣堀次郎、阿閉淡路守貞秀、磯野丹波守がこの城を守った。 1574年、越前の一向一揆が織田氏の家臣守護代桂田長俊を討ち、木ノ芽峠へ侵攻する。そして堀次郎の陣代樋口三郎兵衛が討たれ木ノ芽城は開城した。
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