本来は石倉城が旧石倉城。こちらが石倉城だが、区別上「新」をつけた。 利根川によって分断された石倉城跡に建てられた厩橋城の対岸に出城として築かれた。 永禄6(1563)年、武田信玄が厩橋城と箕輪城を分断するため修理、改修を行い曽根七郎兵衛長忠を置いた。 その後は厩橋城と運命を共にし武田→上杉→北条→上杉→武田→織田→北条と目まぐるしく主を替える。 天正18(1590)年の小田原攻めの時は寺尾左馬助が守っていたが降伏時の混乱の中、城を受け取りに来た松平依田康国を殺害する事件が起こった。 北条氏が降伏すると廃城になった。現在は二の丸公園に碑と説明板がある。
なおこちらも、利根川の氾濫により城跡がかなり削られている。
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