スペインのバルセロナから南南東約200kmの所にある城で、城名はスペイン語でBellver「見晴らしが良い」から。 その名の通り、マヨルカ島の標高約110mの丘の上に建ちパルマ市や湾が一望できる。ベルベール城とも。 始まりは1300年、マヨルカ王のジャウメ2世によって島の防衛と公共事業推進目的で開始され、11年後完成した。 形状はヨーロッパにおいてサンタンジェロ城など4つしか現存しない円郭式城郭*1で、その美しさから「中世の宝石」と称えられている。 1343年アラゴン国*2が保護目的という侵略が行われ、王宮が制圧されるも城が陥ちることはなかった。 1391年の農民反乱で占領されたのが唯一の外敵からの敗北であった。
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戦いより長い経歴が刑務所だった。 侵略され捕らえられたマヨルカ王に始まり、政治犯や1701年スペイン継承戦争、1807年スペイン独立戦争などの捕虜が多数本土から収容された。 1521年ゲルマニア反乱*3では投獄されていた捕虜が反乱を起こし、看守が害され所長も何とか逃げのびる有様だった。 1802年にはスペインの法務大臣ガスパーが幽囚され、出獄後困難な生活だっと手記を残し、彼が使っていた部屋が再現され展示されている。もっとも家具や書籍を多数持ち込み城の文化遺産保護運動を行うなどしていたが。 1931年パルマ市に譲渡され、翌年博物館として開館したが、最悪な出来事はそれからだった。
1936年スペイン内戦*4が始まると、無数の政治家・市民・海外から派兵された兵が逮捕された。 彼らを収監するため、再度刑務所として復活させられ、800人を超える人々が収獄され、その中には1931年城が市に譲渡された時の副市長や議員も含まれていた。 半数以上が処刑され、それは長い歴史の中で一番血に塗られた期間であった。 1947年再度文化的利用に転換され、1976年修復作業が終わり再度市立博物館としてオープンした。 現在は年間20万人程の観光客が訪れる、マヨルカ島最大の観光地となっている。
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