上杉謙信の死後に起こった御館の乱で上杉景虎が自害した城としても知られる、春日山城を守る支城のなかでも最大級の要害。 築城年代は不明だが、天正7年(1579年)の史料に「さめかを」「鮫尾」とあり、武田氏に対する備えとして上杉氏の本城・春日山城防衛の一端を担う城として築かれていたと考えられる。 標高187メートルの城山に築かれ、大小無数の曲輪が尾根に展開し、それらを多数の堀切や竪堀で分断した強固な山城だった。 天正6年(1578年)に起こった御館の乱で上杉景虎は御館を本拠としたが、春日山城を押さえた上杉景勝に対して次第に劣勢となり、鮫ヶ尾城に逃れたものの鮫ヶ尾城主・堀江宗親の裏切りに遭い、この地で自害した。 鮫ヶ尾城はその当時から大きな改変を受けずに現在まで残っており、戦国末期の城の姿が見られる貴重な遺構となっている。
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