河内源氏の流れをくみ、鎌倉幕府の有力御家人・将軍家一門として要職を歴任した足利氏の居館。 平安時代末期、源義家の子・義国が下野足利荘の領主となり、その子で足利氏初代となる義康が居館を構えたとされる。 足利氏2代の義兼の時に敷地内に持仏堂を建立したのが現在まで続く鑁阿寺の創建であり、3代義氏が堂塔伽藍を建立して足利氏一門の氏寺とした。 足利氏は尊氏の代で室町幕府を開き、足利氏一族は京や鎌倉へと移ったことで足利氏館には鑁阿寺のみが残され、居館も失われたと考えられる。
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足利氏館は居館の周囲を土塁と水堀で囲んだ典型的な鎌倉時代の単郭方形館で、御家人の居館が100メートル四方前後の規模が普通だったのに対し、足利氏館は200メートル四方と在地領主の居館としては最大級で、足利氏の権勢を物語っている。 これらの館跡は現在鑁阿寺として残り、大規模な土塁や水堀も現存していることから、足利氏館は中世の居館の姿を伝える貴重な遺構となっている。
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