平安時代に宗像大宮司の第6代宗像妙忠が築城し、戦国時代に第79代宗像氏貞が大改修を行い筑前屈指の規模を誇る名城となった。 氏貞は高橋鑑種が大友宗麟に反旗を翻した際にはこれに呼応し、大友勢との戦闘を繰り返した。 宗麟が筑前に戸次道雪(立花道雪)を派遣し反乱を鎮圧すると、氏貞は大友氏に降伏した。 しかし秋月種実が大友氏に反旗を翻したことで筑前は再び混乱し、氏貞も立花勢と度々戦い一時は撃退するも敗れ、宗像の地を追われた。その後道雪が病死すると氏貞は旧領に復帰している。 氏貞が病死すると宗像氏の本流は断絶し、その後豊臣秀吉による九州平定の際に宗像氏の所領は没収され、蔦ヶ嶽城はそのあまりの巨大さに危機感を覚えた秀吉によって破却されとなった。
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